・・・が、やがて話が終ると、甚太夫はもう喘ぎながら、「身ども今生の思い出には、兵衛の容態が承りとうござる。兵衛はまだ存命でござるか。」と云った。喜三郎はすでに泣いていた。蘭袋もこの言葉を聞いた時には、涙が抑えられないようであった。しかし彼は膝を進・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・あんなに芸事には身を入れていても、根性の卑しさは直らないかと思うと、実際苦々しい気がするのです。………「若槻はまたこうもいうんだ。あの女はこの半年ばかり、多少ヒステリックにもなっていたのでしょう。一時はほとんど毎日のように、今日限り三味・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ おれはもう今生では、お前にも会えぬと思っていた。」 俊寛様もしばらくの間は、涙ぐんでいらっしゃるようでしたが、やがてわたしを御抱き起しになると、「泣くな。泣くな。せめては今日会っただけでも、仏菩薩の御慈悲と思うが好い。」と、親のよ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、猶更なつかしいものと思う。・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・いよいよはがきに鉛筆を走らせるまでには、どうにか文句ができるだろうくらいな、おうちゃくな根性ですましていたが、こうなってみると、いくら「候間」や「候段」や「乍憚御休神下され度」でこじつけていっても、どうにもこうにも、いかなくなってきた。二、・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ が、この気の毒な光景も、当時の自分には徒に、先生の下等な教師根性を暴露したものとしか思われなかった。毛利先生は生徒の機嫌をとってまでも、失職の危険を避けようとしている。だから先生が教師をしているのは、生活のために余儀なくされたので、何・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・焼け失せた函館の人もこの卑い根性を真似ていた。札幌の人はあたりの大陸的な風物の静けさに圧せられて、やはり静かにゆったりと歩く。小樽の人はそうでない、路上の落し物を拾うよりは、モット大きい物を拾おうとする。あたりの風物に圧せらるるには、あまり・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 今はよく晴れて、沼を囲んだ、樹の袖、樹の裾が、大なる紺青の姿見を抱いて、化粧するようにも見え、立囲った幾千の白い上じょうろうが、瑠璃の皎殿を繞り、碧橋を渡って、風に舞うようにも視められた。 この時、煩悩も、菩提もない。ちょうど汀の・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・お貞、ずるい根性を出さないで、表向に吾を殺して、公然、良人殺しの罪人になるのだ。お貞、良人殺の罪人になるのだ。うむお貞。 吾を見棄てるか、吾を殺すか、うむ、どちらにするな。何でも負債を返さないでは、あんまり冥利が悪いでないか。いや、ない・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・この手に――もう一度、今生の思出に、もう一度。本望です。貴方、おなごり惜しゅう存じます。画家 私こそ。(喟然夫人 爺さん、さあ、行こう。人形使 ええ、ええ。さようなら旦那様。夫人 行こうよ。二人行きかかる。本雨。・・・ 泉鏡花 「山吹」
出典:青空文庫