今度の震災の災禍が、経済上にまた政治上に、影響し、従って複雑な関係を個人生活の上にも生じた点が少くない。その中に於て、文学業者の生活は、元来が、一面社会的であると共に、一面は、全く個人的のものであったと言うことができる。 今日、私・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・花代は一時間十銭で、特別の祝儀を五銭か十銭はずむルンペンもあり、そんな時彼女はその男を相手に脛もあらわにはっと固唾をのむような嬌態を見せるのだが、しかし肉は売らない。最下等の芸者だが、最上等の芸者よりも清いのである。もっとも情夫は何人もいる・・・ 織田作之助 「世相」
・・・生物の最下等の奴になるとなんだかロクに分らないのサ、ダッテ石と人間とは一所にならないには極ッてるが、最下等生物の形状はあんまり無生活物とちがいはしないのだよ。所を僕のねじねじ論で観念すると能く分るよ、但しあんまり能く分らない所が少し洒落てい・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・なんとなれば、これがためには、すべての疾病をふせぎ、すべての災禍をさけるべき完全な注意と方法と設備とを要するからである。今後、幾百年かの星霜をへて、文明はますます進歩し、物質的には公衆衛生の知識がいよいよ発達し、一切の公共の設備が安固なのは・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・女の尻を追い廻す、という最下等のいやな言葉が思い浮びましたが、私の場合は、それとちがうのだというような気もして、そんなに天の呵責も感じませんでした。なんとかして一言、なぐさめてやりたかったのです。女の人は、私のほうをちらと見て、立ち上りまし・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・と答えて断り、こっそりひとりで寝酒など飲んで寝る、というやや贋隠者のあけくれにも似たる生活をしているのだけれども、それ以前の十五年間の東京生活に於いては、最下等の居酒屋に出入りして最下等の酒を飲み、所謂最下等の人物たちと語り合っていたもので・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・三界に家なしと言われる程の女が、別にその孤独を嘆ずるわけでもなし、あくせくと針仕事やお洗濯をして、夜になると、その他人の家で、すやすやと安眠しているじゃないか、たいした度胸だ、君は女にも劣るね、人類の最下等のものだ、君だって僕だって全く同等・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。けれども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋よりも、もっと安っぽく、侘しいのである。「他に部屋が無いのですか」「ええ。みんな、ふさがって居ります。ここは涼しいですよ」・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・この宿で、最下等の部屋に、ちがいない。服装が、悪いからなあ。下駄が、汚い。そうだ、服装のせいだ、と笠井さんは、しょげ抜いていたのである。階段をのぼって、二階。「ここが、お好きだったのね。」ゆきさんは、その部屋の襖をあけ、したり顔して落ち・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・そうして、盗難は、――これは火事と較べて、同じ災禍でありながら、あまり宗教的ではない。宗教的どころか、徹頭徹尾、人為的である。けれども、これにも何か不思議がある。人為の極度にも、何かしら神意が舞い下るような気がしないか。エッフェル鉄塔が夜と・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫