坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。 坂田は無学文盲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・その家の人びとは宵の寝苦しい暑さをそのままぐったりと夢に結んでいるのだろうか、けれども暦を数えれば、坂田三吉のことを書いた私の小説がある文芸雑誌の八月号に載ってからちょうど一月が経とうとして、秋のけはいは早やこんなに濃く夜更けの色に染まって・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・「おい、坂田君、僕や、松本やがな」 忘れていたんかと、肩を敲かれそうになったのを、易者はびくっと身を退けて、やっと、「五年振りやな」 小さく言った。 忘れている筈はない。忘れたかったぐらいであると、松本の顔を見上げた。習・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・からですが、高木卓氏が終りが弱いといわれるのも、あなたが題が弱いといわれるのも、つまりは結びの一句が「坂田は急ににこにこした顔になった。そうして雨の音を聞いた」となっていることをいわれたのであろうと思います。どういう雨かとのお問いですが、は・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・それから、稲垣、大野、川本、坂田、みなそれぞれ二三分間おくれて、別の扉を叩くのであった。「今晩は。」 そして、相手がこちらの手を握りかえす、そのかえしようと、眼に注意を集中しているのであった。 彼等のうちのある者は、相手が自分の・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・監督の阿見も、坂田も、遠藤も彼女をねらっていた。「石川さん、お前におかしいだろう。」 井村は、口と口とを一寸位いの近くに合わしながら、そんなことを云ったりした。「それはよく分っている。」「阿見だって、遠藤だってそうだぞ。」・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・あれは、坂田藤十郎が、芸の工夫のため、いつわって人妻に恋を仕掛けた、ということになっていますが、果して全部が偽りの口説であったかどうか、それは、わかったものじゃ無いと私は思って居ります。本当の恋を囁いている間に自身の芸術家の虫が、そろそろ頭・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・二本目のお銚子にとりかかった時、どういう風の吹き廻しか、ふいと坂田藤十郎の事が思い浮んだのです。芸に行きづまり一夜いつわりの恋をしかけて、やっとインスピレエションを得た。わるい事だが、芸のためには、やむを得まい。私も実行しよう。すぐに屹っと・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 明治廿六年の夏から秋へかけて奥羽行脚を試みた時に、酒田から北に向って海岸を一直線に八郎湖まで来た。それから引きかえして、秋田から横手へと志した。その途中で大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事・・・ 正岡子規 「くだもの」
出典:青空文庫