・・・「ええありがとう、もうさっぱり……」「何ともないんですか」「ええ風邪はとっくに癒りました」 寒からぬ春風に、濛々たる小雨の吹き払われて蒼空の底まで見える心地である。日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・どの商店も小綺麗にさっぱりして、磨いた硝子の飾窓には、様々の珍しい商品が並んでいた。珈琲店の軒には花樹が茂り、町に日蔭のある情趣を添えていた。四つ辻の赤いポストも美しく、煙草屋の店にいる娘さえも、杏のように明るくて可憐であった。かつて私は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・第一何が何だかさっぱり話が分らねえじゃねえか、人に話をもちかける時にゃ、相手が返事の出来るような物の言い方をするもんだ。喧嘩なら喧嘩、泥坊なら泥坊とな」「そりゃ分らねえ、分らねえ筈だ、未だ事が持ち上らねえからな、だが二分は持ってるだろう・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・淋しいのは少しも苦にならないけれど、人が来ないので世上の様子がさっぱり分らないには困る。友だちは何として居るかしらッ。小つまは勤めて居るなら最う善いかげんの婆さんになったろう。みイちゃんは婚礼したかどうかしらッ。市区改正はどれだけ捗取ったか・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ぼくはけれども気持ちがさっぱりした。五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人居て何だか嬉しそうにして田の畦を切っていた。 何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のこ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・若いしっかりした良人を失った女性たちは、こういう経験をとおしてだけでも、どんなに仕事の上での又生活の上でのさっぱりとしてたよりになるほんとの男女の協力を願っているかもしれないと思う。 家庭の重荷ということばは、いつも婦人の側から激しくい・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・それから寄ってたかってお蝶を揶揄ったところが、おとなしいことはおとなしくても、意気地のある、張りの強いお蝶は、佐野と云うその書生さんの身の上を、さっぱりと友達に打ち明けた。佐野さんは親が坊さんにすると云って、例の殺生石の伝説で名高い、源翁禅・・・ 森鴎外 「心中」
・・・そして、この怪しむべきことが何の怪しむべきことでもない、さっぱりしたこの場のただ一つの真実だった。排中律のまっただ中に泛んだ、ただ一つの直感の真実は、こうしていま梶に見事な実例を示してくれていて、「さア、どうだ、どうだ。返答しろ。」と梶に迫・・・ 横光利一 「微笑」
・・・夢を見ているように美しい、ハムレット太子の故郷、ヘルジンギヨオルから、スウェエデンの海岸まで、さっぱりした、住心地の好さそうな田舎家が、帯のように続いていて、それが田畑の緑に埋もれて、夢を見るように、海に覗いている。雨を催している日の空気は・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・女はさっぱりと云った。そしてそう云いながら微笑んだらしく思われた。それからこう云った。「それなのにわたくしは一人でいるのが勝手なのでございます。これから内へ帰りましても、わたくしはやっぱり一人でいることが多いのでございます。」 フィンク・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫