・・・二度とは着ないと思われる――そして実際着なかった――晴着を着て座を立った母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。女ながらに気性の勝れて強いお前たちの母上は、私と二人だけいる場合でも泣顔などは見せた事がないといってもいい位だったのに、・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ ――消さないかい―― ――堪忍して―― 是非と言えば、さめざめと、名の白露が姿を散らして消えるばかりに泣きますが。推量して下さいまし、愛想尽しと思うがままよ、鬼だか蛇だか知らない男と一つ処……せめて、神仏の前で輝いた、あの、光・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 小春は花のいきするように、ただ教授の背後から、帯に縋って、さめざめと泣いていた。 八 ここの湯の廓は柳がいい。分けて今宵は月夜である。五株、六株、七株、すらすらと立ち長く靡いて、しっとりと、見附を繞って向合・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ その子供らの母親は、その翌日、我が子の姿を見て、さめざめと泣いたのです。「あれほど、花びらをたべてはいけないといったのに。」といいました。 黒い子供の体は、いつのまにか、二ひきは、赤い色に、一ぴきは白と赤の斑色になっていたから・・・ 小川未明 「赤い魚と子供」
・・・ ある夜、人は牛女が町の暗い路次に立って、さめざめと泣いているのを見たといいます。しかしその後、だれひとり、また牛女の姿を見たものがありません。牛女はどうしたことか、もはやこの町にはおらなかったのです。 その年以来、冬になっても、ふ・・・ 小川未明 「牛女」
・・・涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど、お君はさめざめと泣き、夫婦はこれでなくては値打がないと、ひとびとはその泣きぶりに見とれた。 しかし、二七日の夜、追悼浄瑠璃大会が同じく日本橋クラブの二階広間で開かれると、お君は赤ん坊を連れ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・笑って、もうさんざん腹を抱えて反りかえるようにして、笑って笑い抜いたかと思うと、今度は暗い座敷牢の格子に取りすがりながら、さめざめと泣いた。「お父さま――お前さまの心持は、この俺にはよく解るぞなし。俺もお前さまの娘だ。お前さまに幼少な時・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・と云いながら女はさめざめと泣く。 舞台がまた変る。 丈の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔寒き石壁の中からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ そして青い橄欖の森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗らされてずうっとかすかになりました。「あ孔雀が居るよ。」「ええた・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ さめざめと母の涙が窶れた頬を濡らすのであった。「きいてたの? 幸坊――」 幸雄は聞いている。一間隔てた六畳に幸雄の真鍮燦く寝台があった。その上にゆったりと仰臥したまま、永久正気に戻ることない幸雄が襖越しに、「いいよ、心配し・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫