・・・ それは無いじゃないが、モデルはほんの参考で、引写しにはせん。いきなりモデルを見附けてこいつは面白いというようなのでは勿論無い。そうじゃなくて、自分の頭に、当時の日本の青年男女の傾向をぼんやりと抽象的に有っていて、それを具体化して行くには、・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・併し火葬のように無くなってもしまわず、土葬や水葬のように窮屈な深い処へ沈められるでもなし、頭から着物を沢山被っている位な積りになって人類学の参考室の壁にもたれているなども洒落ているかもしれぬ。其外に今一種のミイラというのはよく山の中の洞穴の・・・ 正岡子規 「死後」
・・・それで何かのご参考になればまことにしあわせです。さて考えてみますとありがたいはなしでございます。私のおやじは紫紺の根を掘って来てお酒ととりかえましたが私は紫紺のはなしを一寸すればこんなに酔うくらいまでお酒が呑めるのです。 そらこんなに酔・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・朝の一時間目からみていた方が参考にもなり、又面白かったのです。私のみたのは今も云いました通り、午后の授業です。一時から二時までの間の第五時間目です。なかなか狐の小学生には、しっかりした所がありますよ。五時間目だって、一人も厭きてるものがない・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・一九二九年に、ソヴェトの文学サークルは何をしていたか、どういう活動の方向をとっていたかということは、こんにち日本の民主的な文学運動として発生している全国数百の文学サークルの成長にとって、いくつかの参考になる点を示している。労農通信員の問題も・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・は、それらの問題についてある点を語っているが、この評論のなかには、きょう、一つの参考となる経験が語られている。 それは「ズラかった信吉」の失敗にふれている箇所である。当時、わたしは、この作品の失敗の理由を、大衆的なものがたり形式にせず小・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ 先だって三綱橋のお祝いのときにも、佐渡の御隠居があんなにわいわい云ったって、やはり寄附金が少なかったから、見たことか、ああやって私よりは下座へ据えられて、夜のお振舞いにだって呼ばれはしない。 町会議員を息子に持っていると威張ったと・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 万治元戊戌年十二月二日興津弥五右衛門華押 皆々様 この擬書は翁草に拠って作ったのであるが、その外は手近にある徳川実記と野史とを参考したに過ぎない。皆活板本で実記は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・いつもと違って、一冊の参考書をも見ずに書いたのである。 この「寒山拾得」という話は、まだ書肆の手にわたしはせぬが、多分新小説に出ることになるだろう。 子供はこの話には満足しなかった。大人の読者はおそらくは一層満足しないだろう。子供に・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
出典:青空文庫