・・・ 世界思想史について些の常識を有する者には小林氏の以上のようなロシア文学史についての見解はそれなり賛同しかねるであろうし、特に明治社会と文化との生成の間、全く未開のまま通過され異質のものに覆われてしまった中江兆民の時代の思想の意義を、抹・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・平地の健脚は、決して石ころの山道で同様の威厳を持ち得ない事を発見致しました。 紐育あたりから遊びに来て居ります人々でも、矢張り私と余り違わない程度と見えて、深い山等へ出かける者は少うございます。従って朝夕、美くしく着飾った女達が、都会に・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ こうして私たちは少しずつ少しずつ、時にはのぼった山道をまた下るような足どりにも耐えて、自身の成長と歴史の成長とを学び、もたらして行くのだと思う。〔一九四二年一月〕 宮本百合子 「時代と人々」
・・・さえも、当時のまだ方向が決定しなかったドイツの運動の段階においてはさけがたいものであったろう或る種の制約をうけていたことを、手紙の多くの箇所に、特に彼女がゲーテの自然科学を研究した観念論者らしい態度に賛同し、自分も環境を無視して今地質の本を・・・ 宮本百合子 「生活の道より」
・・・チフリスへはコーカサス山脈を横断するグルジンスカヤ山道を自動車で十時間余ドライブして行く筈であった。コーカサスの雄大な美を知りたいと思えば、このグルジンスカヤ山道をおいてはない。そう云われている絶景である。ウラジ・カウカアズが、その起点とな・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・と直覚した久内に、全く賛同しているのである。 ビヤホールで、賢くも確りもしていない善作に向い久内である作者が説明した自由の「自分の感情と思想とを独立させて冷然と眺めることのできる闊達自在な精神」なるものは、そうして見ると、動的なものでは・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・正月元日に明治神宮の参道をみたす大衆の中に、インテリゲンチャは何人まざっていたかと当時の知識人を叱責した彼のその情報局的見地に立ったものでした。 日本の降伏後、言論の自由、思想と良心と行動の自由があるようになったはずです。でもその現実は・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ ある恐ろしい山道で一人の百姓が天狗に出遭った。天狗は既に烏天狗の域を脱して凄い赤鼻と、炬火のような眼をもった大天狗だ。天狗は百姓を見て云った。「ヤイ虫ケラ。俺に遭ったのは百年目だ。サア喰ってやるから覚悟しろ」 百姓は浅黄股引姿・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
・・・日本的なものということが、それだけ抽象化され、今日の大衆生活の現実との関係では、現実のありようから着実な観察の眼を引離す方向でいわれはじめた場合に、無条件でそれに賛同するプロレタリア作家もなかろうではないか。プロレタリア文学が置かれている今・・・ 宮本百合子 「プロ文学の中間報告」
・・・この傾向は、特に、日本の文化が置かれている今日の事情に照らして、軽々に賛同出来がたいものをもっているのである。 人間的なものの美と価値とを、異常な場合の中に発見しようとして来た過去の文学に対して、人間的なものを、一般平凡、普遍なものの中・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
出典:青空文庫