・・・左手はとびとびに人家のつづいている中に、不動院という門構の寺や、医者の家、土蔵づくりの雑貨店なども交っているが、その間の路地を覗くと、見るも哀れな裏長屋が、向きも方角もなく入り乱れてぼろぼろの亜鉛屋根を並べている。普請中の貸家も見える。道の・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。その笑い声も口笛も、・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ちょうどひるころなので、パンを買おうと思って、一軒の雑貨や菓子を買っている店へ寄って、「パンはありませんか。」とききました。するとそこには三人のはだしの人たちが、目をまっ赤にして酒を飲んでおりましたが、一人が立ち上がって、「パンはあ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・森の出口に小さな雑貨商がありましたので、ネネムは店にはいって、まっ黒な上着とズボンを一つ買いました。それから急いでそれを着ながら考えました。「何か学問をして書記になりたいもんだな。もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮ま・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・みなが自分のまわりを離れ、区長や雑貨屋の方へかたまって彼をぬすみ見ているのに、「驚いた」りするのである。活々した階級的人間的生活の種々雑多の具象性に対し最も感受性が鋭く、個々の具象性の分析、綜合から客観的現実への総括を、あるいはその逆の作用・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・私は軒先に立って面白い問答をききながら向いの雑貨店の店さきで小さい子供の母親の膝にもたれて何か云ってあまったれて居るのを自分もあまったれて居るような気になって望めて居る。帳場に坐って新聞をよんで居たはげ頭の主が格子の中から十二文ノコウ高はお・・・ 宮本百合子 「大きい足袋」
・・・まだ小学があると見えてそう子供は居なかったけれ共、十四、五からの娘達が頸巻をし、手を懐に突込んで、雑貨店だの呉服屋の店先に群らがって居る。大抵は日本髪にして居る。此処いらの人から見れば、随分はでに見える着物を着て、大股にスタスタ歩く私を、い・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・極く安物の雑貨屋が木綿靴下やピンやセルフリッジの絵葉書部にあるのとは種属の違う二ペンスエハガキを並べた。たとえばこんなエハガキだ。 街角。赤襟巻の夕刊売子がカラーなしの鳥打帽をつかまえて云っている。 ――ペニー足りねえよ! ――・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・本通の雑貨店徳見に往ったら、「弟御さんも店へお出になりました」と、主人が云った。誰の事かと思って問えば、君の事である。同国ではあるが、親類ではないと、私は答えた。主人は不審に思うらしい様子で、「へえ、あんなに好く肖てお出になって」と云った。・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫