・・・だから私のいう人のためにするという意味は、一般の人の弱点嗜好に投ずると云う大きな意味で、小さい道徳――道徳は小さくありませぬが、まず事実の一部分に過ぎないのだから小さいと云っても差支ないでしょう。そう云う高尚ではあるが偏狭な意味で人のために・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・この還元的感化は文芸が吾人に与え得る至大至高の感化であります。機縁が熟すと云う意味は、この極致文芸のうちにあらわれたる理想と、自己の理想とが契合する場合か、もしくはこれに引つけられたる自己の理想が、新しき点において、深き点において、もしくは・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・であり、思考したり哲学したりすることを好まない。日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔か・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然りといえども、余輩が今ここにいうところの政の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。 ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・他なし、自己の幸福、社会の安全に関係するところのものなれども、ただ審判の力に乏しくして、あるいは事の成を期すること急に過ぎ、あるいはその事を施行すること劇に過ぎて、心事の本色を現わすこと能わざるのみ。 たとえば少年の勇士が死を決して自か・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・なおなはなだしきは公に旧君の名をもって旧家来の指令を仰ぎ、私にその宅に伺候して依托することもあらん。 また、四民同権の世態に変じたる以上は、農商も昔日の素町人・土百姓に非ずして、藩地の士族を恐れざるのみならず、時としては旧領主を相手取り・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・歌としては秀逸ならねど彼の性質、生活、嗜好などを知るには最便ある歌なり。その中にたのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふ時たのしみはまれに魚烹て児等皆がうましうましといひて食ふ時など貧苦の様を詠みたるもあり。 ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・○くだものの嗜好 菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得食わぬ人も沢山ある。また好きという内でも何が最も好きかというと、それは人によって一々違う。柿が一番旨いという人もあれば、柿・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・複雑的美 思想簡単なる時代には美術文学に対する嗜好も簡単を尚ぶは自然の趨勢なり。わが邦千余年間の和歌のいかに簡単なるかを見ば、人の思想の長く発達せざりし有様も見え透く心地す。この間に立ちて形式の簡単なる俳句はかえって和歌より・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 私共がすでに自然の産物である以上、その親をしたうに何の批評が入用ろう、 何の思考が入ろう。 或人は室中に何も置かない方がまとまると云う、 又、私の様に、何かしら、心をこめて集めたものとか美くしいものがなければ、その部屋には・・・ 宮本百合子 「雨滴」
出典:青空文庫