・・・この三人が、姫君のためにはハッピーエンド、彼らの目には悲劇であるかもしれない全編の終局の後に、短いエピローグとして現われ、この劇の当初からかかっていた刺繍のおとぎ話の騎士の絵のできあがったのを広げてそうして魔女のような老嬢の笑いを笑う。運命・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・その岩塊の頭を包むヴェールのように灰砂の斜面がなめらかにすそを引いてその上に細かく刺繍をおいたように、オンタデや虎杖やみね柳やいろいろの矮草が散点している。 一合目の鳥居の近くに一等水準点がある。深さ一メートルの四角なコンクリートの柱の・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・その詩集『上漁謡』に花時の雑沓を厭って次の如くに言ったものがある。花時上佳 〔花時 上佳し雖レ佳慵レ命レ駕 佳しと雖も駕を命ずるに慵し都人何雑沓 都人何ぞ雑沓して来往無二昼夜一 来往すること昼夜を無す・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・アンリイ・ド・レニエエは、近世的都市の喧騒から逃れて路易大王が覇業の跡なるヴェルサイユの旧苑にさまよい、『噴水の都』La Cit des Eaux と題する一巻の詩集を著した。その序詩の末段に、Qu'importe! ce n'es・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはた・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・僕の第二詩集「青猫」は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル化した小乗仏教の臭気や、性慾の悩みを訴へる厭世哲学のエロチシズムやが、集中の詩篇に芬々として居るほどである。しかし僕は、それよりも尚多くのもの・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ その下を狐が詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立おろしの紺の背広を着、赤革の靴もキッキッと鳴ったのです。「実にしずかな晩ですねえ。」「ええ。」樺の木はそっと返事をしました。「蝎ぼしが向うを這っていますね。あの赤い大きなや・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・ふき子は、縁側に椅子を持ち出し、背中を日に照らされながらリボン刺繍を始めた。陽子は持って来た本を読んだ。ぬくめられる砂から陽炎と潮の香が重く立ちのぼった。 段々、陽子は自分の間借りの家でよりふき子のところで時間を潰すことが多くなった。風・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・の封建時代である中世に女の人の生活は、どんなに運命に対して受動的であり、その受動的な日々の営みは、あてのない幸福を待ちながら城に閉じ籠って、字を書くこともなく、本を読むこともなく、朝に夕に機を織ったり刺繍したりしているばかりであったという現・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・などは「詩集と結婚と出産と」「父となる日」「わが家の正月」などとともに、決して、古い意味での世界の主の感情ではないのだから。「わが家の正月」「詩集と結婚と出産と」などには、実にあったかくて、清潔で、狎れ合ってしまわない人間同士の、親と子と、・・・ 宮本百合子 「鉛筆の詩人へ」
出典:青空文庫