・・・十余年前にありては、しきりに世の多事を好み騒動を企望して余念なかりし血気の士人に非ずや。その士人の中には殺伐無状、人を殺し家を焼き、およそ社会の平安を害すべき事なれば一も避くるところなく、ついに身を容るるの地なきにいたれば、快と称して死につ・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・啻に白頭の故老のみならず、青年以上有為の士人中にも、一切万事有形も無形も文明主義の一以て之を貫くと敢て公言して又実際に之を実行しながら、独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して、自から婬猥不倫の罪を免れんとする者あるこそ可笑しけれ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したりといえども、全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・いかなる独主独行の士人といえども、この間にひとりするを得ざるは、伝染病の地方にいて、ひとりこれを免かるるの術なきが如し。独立の品行、まことに嘉みすべしといえども、おのずからその限りあるものにして、限界を超えて独立せんとするも、人間生々の中に・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・試みにこれを歴史に徴するに、義気凜然として威武も屈する能わず富貴も誘う能わず、自ら私権を保護して鉄石の如くなる士人は、その家に居るや必ず優しくして情に厚き人物ならざるはなし。即ち戸外の義士は家内の好主人たるの実を見るべし。いかなる場合にも放・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・然るに今その敵に敵するは、無益なり、無謀なり、国家の損亡なりとて、専ら平和無事に誘導したるその士人を率いて、一朝敵国外患の至るに当り、能くその士気を振うて極端の苦辛に堪えしむるの術あるべきや。内に瘠我慢なきものは外に対してもまた然らざるを得・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ジュコーフスキーはロシアの詩人であるが、寧ろ翻訳家として名を成している。バイロンを多く訳しているが、それが妙に巧い。尤も当時のロシアは、其の社会状態が小バイロンを盛んに生んだ時代で、殊にジュコーフスキーの如きは、鉄中錚々たるものであったから・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった。或夜夕飯も過ぎて後、宿屋の下女にまだ御所柿は食えまいかとい・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 諷刺詩人としての小熊秀雄氏が、その時代には成長の道程にあった。童話にあらわれていた味は、生活的な成長から諷刺に転じて、小熊さんの鋭い反応性と或る正義感と芸術的野望とは、諷刺詩を領野として活躍しはじめた。 技術的に諷刺的表現の或る自・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・一、そのつつましいたのしさをうちこわすものは何だろうか。交通地獄の恐怖である。検事局と書いた木札を胸にかけて、乗ろうとする粗暴な群集を整理するわけにもゆかない。一私人として立てば、やはり我身をもみくしゃにされ、妻を顧みて「おい大丈夫か」とい・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
出典:青空文庫