・・・蘭袋はその日も酒気を帯びて、早速彼の病床を見舞った。「先生、永々の御介抱、甚太夫辱く存じ申す。」――彼は蘭袋の顔を見ると、床の上に起直って、苦しそうにこう云った。「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・黒絽の羽織をひっかけた、多少は酒気もあるらしい彼は、谷村博士と慇懃な初対面の挨拶をすませてから、すじかいに坐った賢造へ、「もう御診断は御伺いになったんですか?」と、強い東北訛の声をかけた。「いや、あなたが御見えになってから、申し上げ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ チエホフの言葉 チエホフはその手記の中に男女の差別を論じている。――「女は年をとると共に、益々女の事に従うものであり、男は年をとると共に、益々女の事から離れるものである。」 しかしこのチエホフの言葉は男女とも年をと・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・それはいけない。そんな事を云っては×××すまない。」「べらぼうめ! すむもすまねえもあるものか! 酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」 田口一等卒は口を噤んだ。それは酒気さえ帯びていれば、皮肉な事ばかり並べたがる、・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・と云ったぎりしばらくは涙を呑んだようでしたが、もう一度新蔵が虹のような酒気を吐いて、「御取次。」と云おうとすると、襖を隔てた次の間から、まるで蟇が呟くように、「どなたやらん、そこな人。遠慮のうこちへ通らっしゃれ。」と、力のない、鼻へ抜けた、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・これは私たちのように、酒気があったのでは決してない。 切符は五十銭である。第一、順と見えて、六十を越えたろう、白髪のお媼さんが下足を預るのに、二人分に、洋杖と蝙蝠傘を添えて、これが無料で、蝦蟇口を捻った一樹の心づけに、手も触れない。・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ という声濁りて、痘痕の充てる頬骨高き老顔の酒気を帯びたるに、一眼の盲いたるがいとものすごきものとなりて、拉ぐばかり力を籠めて、お香の肩を掴み動かし、「いまだに忘れない。どうしてもその残念さが消え失せない。そのためにおれはもうすべて・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・と今度は徳二郎がついでやったのを、女はまたもや一息に飲み干して、月に向かって酒気をほっと吐いた。「サアそれでよい、これからわしが歌って聞かせる。」「イイエ徳さん、わたしは思い切って泣きたい、ここならだれも見ていないし、聞こえもしない・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・と軍曹酒気を吐いて「お茶を一ぱい頂戴」「今入れているじゃありませんか、性急ない児だ」と母は湯呑に充満注いでやって自分の居ることは、最早忘れたかのよう。二階から大声で、「大塚、大塚!」「貴所下りてお出でなさいよ」と母が呼ぶ。大塚軍・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・』かれは酒気を帯びていた。『これが土産だ。ほかに何にもない、そら! これを君にくれる、』と投げだしたのは短刀であった。自分はその唐突に驚いた。かかる挙動は決して以前のかれにはなかったのである。自分はもう今日のかれ、七年前のかれでないこと・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
出典:青空文庫