・・・わたしはこれを修正すべき理智の存在を否みはしない。同時に又百般の人事を統べる「偶然」の存在も認めるものである。が、あらゆる熱情は理性の存在を忘れ易い。「偶然」は云わば神意である。すると我我の自己欺瞞は世界の歴史を左右すべき、最も永久な力かも・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかも彼の一生の悲喜劇は多少の修正を加えさえすれば、僕の一生のカリカテュアだった。殊に彼の悲喜劇の中に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無気味にし出した。僕は一時間とたたないうちにベッドの上から飛び起きるが早いか、窓かけの垂れた部屋の隅へ力一・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・たとえこごえ死にに死にはするともここ一足も動きませんと殊勝な事を申しましたが、王子は、「そんなわからずやを言うものではない。おまえが今年死ねばおまえと私の会えるのは今年限り。今日ナイルに帰ってまた来年おいで。そうすれば来年またここで会え・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・これらの修正策が施された後に、社会主義的思想ははじめて実現されるわけになるのだ。それならば社会政策的の施設する未だ行なわれようとはしなかった時代に、何を苦しんで社会主義の思想は説かれねばならなかったか。私はそれに答えて、社会主義はその背景に・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・A 殊勝な事を言う。それでは今度の下宿はうまい物を食わせるのか。B 三度三度うまい物ばかり食わせる下宿が何処にあるもんか。A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。B 皮肉るない。今度のは下宿じゃないんだよ。僕はもう下宿生活には飽・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・麝香入の匂袋ででもある事か――坊は知るまい、女の膚身を湯で磨く……気取ったのは鶯のふんが入る、糠袋が、それでも、殊勝に、思わせぶりに、びしょびしょぶよぶよと濡れて出た。いずれ、身勝手な――病のために、女の生肝を取ろうとするような殿様だもの…・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・……これで戻駕籠でも思出すか、善玉の櫂でも使えば殊勝だけれども、疼痛疼痛、「お京何をする。」……はずんで、脊骨……へ飛上る。浅草の玉乗に夢中だったのだそうである。もっとも、すぺりと円い禿頭の、護謨、護謨としたのには、少なからず誘惑を感じたも・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ と見ると、仏壇に灯が点いて、老人が殊勝に坐って、御法の声。「……我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心……」 白髪に尊き燈火の星、観音、そこにおはします。……駈寄って、は・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・「何だ、いま泣いた烏がもう出て笑う、というのは、もうちと殊勝な、お人柄の事なんだぜ。私はまた、なぜだか、前刻いった――八田――紺屋の干場の近くに家のあった、その男のような気がしたよ。小学校以来。それだって空な事過ぎるが、むかし懐かしさに・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・簪をまだささず、黒繻子の襟の白粉垢の冷たそうな、かすりの不断着をあわれに着て、……前垂と帯の間へ、古風に手拭を細く挟んだ雛妓が、殊勝にも、お参詣の戻らしい……急足に、つつッと出た。が、盲目の爺さんとすれ違って前へ出たと思うと、空から抱留めら・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫