・・・ハワイで生れてハワイの小学校にあがっていたが、日本に帰って勉強するために、お祖母さんと、妹と三人で、私が犬に吠えられて茄子を折った邸の、すぐ隣りの大きな家に住んでいた。 クラスのうちで一番身体が大きく、一番勉強もできたので、ずウッと級長・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 母親は、三吉と小学校で同級だった町の青年たちの名をあげて、くりごとをはじめる。早婚な地方の世間ていもあるだろうが、何よりも早く倅の尻におもしをくっつけたい願望がろこつにでていた。「――牛は牛づれという。竹びしゃく作りには竹びしゃく・・・ 徳永直 「白い道」
・・・自分は何の理由もなく、かの男は生れついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事がありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な「明・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・もっとも近来は小学校などでも生徒に問題を出して日本の現代の人物中で誰が一番偉いかなどと聞く先生がある。この間私が或る地方へ行ったらある新聞でそういう問題を出して小学生徒から答案の投書を募っていました。その中で自分の叔父さんが一番偉いという答・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・女は父母の命と媒妁とに非ざれば交らずと、小学にもみえたり。仮令命を失ふとも心を金石のごとくに堅くして義を守るべし。 幼稚の時より男女の別を正くして仮初にも戯れたる事を見聞せしむ可らずと言う。即ち婬猥不潔のことは目にも見ず耳にも聞・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今、中学校と名る者四所、小学校と名るもの六十四所あり。 市中を六十四区に分て学校の区分となせしは、かの西洋にていわゆるスクールヂストリックトならん。この一区に一所の小学校を設け、区内の・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾機と歯車だけ字面の裏にくっついている、それを動かそうとしているのだ。陽子は少年らしい色白な頸窩や、根気よい指先を見・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 私はパパ、ママはいけないという松田文相の小学放送の試みや、ラジオにでるにはなかなかお金がかかるんでねえと打ちかこった或る長唄の師匠の言葉などを思い出しながら、その声をきいているのであった。 聴取料が五十銭になったことは、ラジオに対・・・ 宮本百合子 「或る心持よい夕方」
・・・少人数の家では少額ならざるを得ないという当然のことが、決して合理的に扱われていないのである。家庭購買で活躍していられる押川夫人など、こういう点にどんな感想を持っていられるだろう。 私たちの今日の生活が過渡期の混乱におかれていることは、こ・・・ 宮本百合子 「主婦意識の転換」
・・・このように女の働く者の手当賞与が少額であるということにも、二三年来急に増した若い働く女性たちが技術上未熟練なものの多いことを語っている。しかも実収入で半額まで女がこぎつけていることに、日々の努力が決してそれらの女性たちにとってかるいものでは・・・ 宮本百合子 「女性の現実」
出典:青空文庫