・・・これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧迫された痕跡が赤く印銘されているのでそこを引っかき摩擦すればしびれはすぐに消散するのである。病気にもこんな風に自覚症状の所在とその原因の所在とがちがうのがあるらしい。 ・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・の探究者に最も必要な心持ちをすべての人からだんだんに消散させようとするような傾向のあるのはいかんともしがたい。もっとも大概の人間には真に対する潔癖はあるから、そういう不正確な記事はたまたまその潔癖を刺激してかえってそれを亢進させるような効果・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有を主張した、社会主義が何が恐い? 世界のどこにでもある。しかるに狭量神経質の政府は、ひどく気にさえ出して、ことに社会主義者が日露戦争に非戦論を唱うるとにわかに圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 正宗谷崎二君がわたくしの文を批判する態度は頗寛大であって、ややもすれば称賛に過ぎたところが多い。これは知らず知らず友情の然らしめたためであろう。あるひは幾分奨励の意を寓して、晩年更に奮発一番すべしとの心であるやも知れない。わたくしは昭・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・る時、冷却せる雨水の注射に因って、一大破裂を来たしたかと想う雷鳴は、ぱりぱりと乾燥した音響を無辺際に伝いて、軈て其玻璃器の大破片が落下したかと思われる音響が、ずしんと大地をゆるがして更にどろどろと遠く消散する。雨は飛散する玻璃の粉末の如く空・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・メーン・ドゥ・ビランはパスカルが賞讚するといった ceux qui cherchent en gmissant[うめきながら探求する者]というような哲学者であった。「センス」でもない「ジン」でもない「サンス」は、一面において内面的と・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・あまり水裡の時間が長いので、賞賛の声、羨望の声が、恐怖の叫びに変わった。 ついに野球のセコチャンが一人溺死した。 湖は、底もなく澄みわたった空を映して、魔の色をますます濃くした。「屠牛所の生き血の崇りがあの湖にはあるのだろう」・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 彼女は、マニラの生産品を積んで、三池へ向って、帰航の途についた。 水夫の一人が、出帆すると間もなく、ひどく苦しみ始めた。 赤熱しない許りに焼けた、鉄デッキと、直ぐ側で熔鉱炉の蓋でも明けられたような、太陽の直射とに、「又当てられ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・孝婦伝など見れば、何々女は貞操無比、夫の悪疾を看護して何十年一日の如し云々とて称賛したるもの多し。先生の如きも必ず称賛者の一人たるは疑を容れず。左れば悪疾の妻は会釈なく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看護せしめんとするか。ます/\解す・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 余輩常に思うに、今の諸華族が様々の仕組を設けて様々のことに財を費し、様々の憂を憂て様々の奇策妙計を運らさんよりも、むしろその財の未だ空しく消散せざるに当て、早く銘々の旧藩地に学校を立てなば、数年の後は間接の功を奏して、華族の私のために・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫