・・・与謝野晶子が、その「みだれ髪」によって人々を恍惚とさせたのもこの前後のことであった。藤村の若菜集は、二十六歳の青年詩人の情熱をもると同時に自らその当時の社会の若々しい格調を響かせたのであった。『若菜集』の序のうたに、藤村は自分の詩作を葡・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・と目引き袖ひきするのもあるのを上からのぞく御月さま、「ても笑止な」と思うで有ろう。数多の女達の中であざみの中の撫子かそれよりもまだ立ちまさって美しく見えて居る紫の君は扇で深くかおをかくして居ながらもその美くしさをしのばする、うなじの白さ・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・与謝野晶子の「口語訳源氏物語」のまねをして「錦木」という長篇小説を書いた。森の魔女の話も書いた。両親たちは自分たちの生活にいそがしい。家庭生活や夫婦生活のこまかいことがませた自分に見え、親たちを批評するような心持になった。お茶の・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 一九三九年ごろの軍需インフレーション時代、出版インフレといわれた豊田正子『綴方教室』小川正子『小島の春』などとともに、野沢富美子という一人の少女が『煉瓦女工』という短篇集をもって注目をひいた。「煉瓦女工」は、荒々しく切なく、そして・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・そういう時代に、たとえば極く新しい人として、作家にならない時代の豊田正子さんとか、野沢富美子さんとかいう人が出ました。野沢さんも、豊田さんも才能のある人で、生活にしっかりくっついたいい素質を持っている人です。それをどういう風にジャーナリズム・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・藤村、晶子にしろロマンチシズム時代の空想をさえ生活実体として具体的に感覚し得ただけ生活力と若々しさをもっていた。「抽象的な情熱」という十分の自覚に立って日本の文学古典のうち最も生活と芸術とが融合一致していた万葉時代の、生命力に溢れた芸術・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」と戦争の野蛮に抗議した詩は、文学史の上にさえ全文を現わさなかった。日露戦争当時、晶子がこの作品を発表したことを憤って大町桂月が大抗議したことがあった。「変目伝」の作者広津柳浪は、当時の文学者としては西欧・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・与謝野晶子、藤村などが詩を語って、思い出の中にまざまざ生かしているであろうカフェー・リラで、今日声高く談ぜられているのは常に必ずしも、文学、音楽のことのみではない。横光氏は座談会で云っている。「外国の文士というものは聊か政治批評をやっている・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
『輝ク』の慰問号を拝見して感じたことの第一は、人を慰める、特に平常と異った事情にある前線の将士を真実に慰めるということは、実に、むずかしいということです。『輝ク』のこの号の共通な感情として、どっちかというと慰めるということの・・・ 宮本百合子 「身ぶりならぬ慰めを」
・・・与謝野晶子さんの現代語訳源氏物語が出版されたのは、正確にはいつ頃のことであったか。今はっきり思い出せないが、私はそれを真似て、西鶴の永代蔵の何かを口語体に書き直し、表紙をつけ、綴じて大切に眺めたりした覚がある。 小学校六年の夏休みのこと・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
出典:青空文庫