・・・そこには、靱皮の帯をしめて、わざと爪を長くしたパリサイの徒もいた事であろうし、髪に青い粉をつけて、ナルドの油の匂をさせた娼婦たちもいた事であろう。あるいはまた、羅馬の兵卒たちの持っている楯が、右からも左からも、眩く暑い日の光を照りかえしてい・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・沼南の味も率気もない実なし汁のような政治論には余り感服しなかった上に、其処此処で見掛けた夫人の顰蹙すべき娼婦的媚態が妨げをして、沼南に対してもまた余りイイ感じを持たないで、敬意を払う気になれなかった。 が、この不しだらな夫人のために泥を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そんなときふと邪慳な娼婦は心に浮かび、喬は堪らない自己嫌厭に堕ちるのだった。生活に打ち込まれた一本の楔がどんなところにまで歪を及ぼして行っているか、彼はそれに行き当るたびに、内面的に汚れている自分を識ってゆくのだった。 そしてまた一本の・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・それからまた女の結髪が昔の娼婦などの結うた「立て兵庫」にどこか似ているのも面白い。 唄合戦の光景も珍しい。一人の若者が団扇太鼓のようなものを叩いて相手の競争者の男の悪口を唄にして唄いながら思い切り顔を歪めて愚弄の表情をする、そうして唄の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・見る瞳さえつぶせば、と盲目にして娼婦の営みをさせた。孔子の言葉は現実をどこまで改善しただろう。 粤東盲妓という題の詩が幾篇もあって、なかに、亭々倩影照平湖 玉骨泳肌映繍繻斜倚竹欄頻問訊 月明曾上碧山無 魯・・・ 宮本百合子 「書簡箋」
・・・〔欄外に〕母となる性の特質、男にある浄きものへの憧れ、女に娼婦型母型 二つあるように云うが、男の人の要求が大体その二つに別けられるので、女の方は、それと順応して、一方ずつの特性を強調するのではないの。 男は一人で二つ持つ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・パリでトルストイに一生忘られない戦慄を与えたのは娼婦のあでやかな流眄ではなくて、ギロチンにかけられた死刑囚の頭と胴とが別々に箱の中にころがり落ちる時の重い響きであった。トルストイは作家仲間と酒をのみ、ジプシーの歌をききながらも、ツルゲーネフ・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・性欲の神秘を神に帰するがゆえに、また神殿は娼婦の家ともなる。パウロはそれを自分の眼で見た。そうして「いたく心を痛め」た。桂の愛らしい緑や微風にそよぐプラタアネの若葉に取り巻かれた肌の美しい女神の像も彼には敵意のほかの何の情緒をも起こさせなか・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・彼らが性慾を重んじるからいけないというのではない。彼らが娼婦を描くからいけないというのではない。ただそういうものに対してもっと深い見方のあることを理解しろというのである。我々の生活は穢ないものをもきれいなものをも包容している。迷いもすればま・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫