・・・福田戒厳令司令官が山梨に代ったのもこの理由であったのだ。他二名は誰か、又どうして殺したか、所持品などはどうされたか。 高津正道、佐野学、山川均菊栄氏等もやられたと云う噂あり。実に複雑な世相。一部の人々は皆この際やってしまう方がよいと云う・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・この身にしみる叫喚の快い響、何処となく五官を爽かにする死霊の前ぶれ。――おや、あの木立もない広っぱに、大分かたまって蠢いていますね。ミーダ 目に止まらずに恐ろしいのは俺の力だ。見ろ、慌てふためいた人間どもを、火が移ったら其ぎりの小舟や橋・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・そう思って、「争議団司令部」という大きなはり紙をした二階の手摺のところへ、新聞社写真班のために、わざわざ並んだ幹部たちの写真を眺めいるのであった。〔一九三四年十月〕 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・ 翌日の夕刊で、その整理案撤回を東交が要求して、罷業準備の指令を発したという記事をよんで、私達はそれが突飛なことであるというような感銘はちっとも受けなかった。整理案の内容は、既に一般市民に、東交がそう出ることの自然であるという感じを抱か・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由が命令された。十月十〔四〕日、宮本が網走刑務所から解放されて東京へ帰ってきた。府中刑務所の予防拘禁から解放された徳田球一その他の同志たち・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由が命令された。十月十〔四〕日、宮本が網走刑務所から解放されて東京へ帰ってきた。府中刑務所の予防拘禁から解放された徳田球一その他の同志たち・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・その人から借りたわけでしたが、当時はぼんやりしていたが、満州事件が起ってから新聞で見ると、かつて大家であった本庄という軍人は、外ならぬ関東軍指令官の本庄大将であるのが分って、ほほう、というような訳でした。 この小説は題が示す通り、一人の・・・ 宮本百合子 「「伸子」について」
・・・父の死後母は熱心な王党員である司令副官と結婚し、この一家とマリイ・アントワネットのきずなは、アントワネットが断頭台にのぼる前、ロオルの母に自分の髪飾りと耳輪とを形見に与えた程深いものであった。 そのような環境の中に幼時を経た頭の鋭い感傷・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ また、ヴォルガ・カスピ海地方のあらゆる革命戦線に働き、共和国海軍司令部のコミサールをやった。 一九二〇年から二二年にかけてレイスネルはアフガニスタンへ外交官として暮した。翌年はドイツへ。 レイスネルの、豊富な革命的活動の経験、・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・ 総選挙が迫ったこの頃、連合国司令部に、その結果によっては議会の再解散する意嚮があること、対日理事会として、当選議員の資格審査も行われるだろうと云われているのは、肯ける。国際的な注目は、今度の総選挙の日本の民主化に対する危険性を見ぬいて・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
出典:青空文庫