・・・近きベンチへ腰をかけて観音様を祈り奉る俄信心を起すも霊験のある筈なしと顔をしかめながら雷門を出づれば仁王の顔いつもよりは苦し。仲見世の雑鬧は云わずもあるべし。東橋に出づ。腹痛やゝ治まる。向うへ越して交番に百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・しかし同じ新人会熊本支部員である長野も深水も、この用件にあまり興味をもたなかった。第一に高島が有名でないこと、次に高島がボルだということからであった。「おあがんなさい」 深水の嫁さんがしきものをだしてくれた。うなずきながら、足首まで・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 善ニョムさんは、老人のわりに不信心家だが、作物に対しては誰よりも熱心な信心家だった。雲が破けて、陽光が畑いちめんに落ちると、麦の芽は輝き躍って、善ニョムさんの頬冠りは、そのうちにまったく融けこんでしまった。 それだから、ちょうどそ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・さして深甚の苦痛を感ぜずに捨てることができるものと思っているらしい。飲めない酒もそういう場合には忍んで快く飲むのが、免れがたき人間の義務となしているらしい。ここにおいてか、結婚は社交の苦痛を忍び得る人にして初めてこれを為し得るのである。社交・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・余は新人の社員として、その時始めてわが社の重なる人と食卓を共にした。そのうちに長谷川君もいたのである。これが長谷川君でと紹介された時には、かねて想像していたところと、あまりに隔たっていたので、心のうちでは驚きながら挨拶をした。始め長谷川君の・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・世の中には宗旨を信心して未来を祈る者あり。その目的は死後に極楽に往生していわゆる「パラダイス」の幸福を享けんとの趣意ならん。深謀遠慮というべし。されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・儒流の故老輩が百千年来形式の習慣に養われて恰も第二の性を成し、男尊女卑の陋習に安んじて遂に悟ることを知らざるも固より其処なり、文明の新説を聞て釈然たらざるも怪しむに足らずと雖も、今の新日本国には自から新人の在るあり、我輩は此新人を友にして親・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ ゆえに本書の如きは民間一個人の著書にして、その信不信をばまったく天下の公論に任じ、各人自発の信心をもってこれを読ましむるは、なお可なりといえども、いやしくも政府の撰に係るものを定めて教科書となし、官立・公立の中学校・師範学校等に用うる・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・駈けつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善・・・ 正岡子規 「犬」
・・・そうすると坊さんが言うには「今のお話しのうちの意志の自由を打消すという事は吾々の宗旨で平生いう所の他力信心に似て居る」というた。〔『ホトトギス』第五巻第七号 明治35・4・20 一〕○おとどしの春黙語氏の世話で或人の庭に捨ててあ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫