・・・ 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類を portefeuille から出して、硯箱の蓋を取って、墨を磨るのを見ている。墨を磨ってしまって、偶然のようにこっちへ向・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・そのうちある晩風雪になって、雨戸の外では風の音がひゅうひゅうとして、庭に植えてある竹がおりおり箒で掃くように戸を摩る。十時頃に下女が茶を入れて持って来て、どうもひどい晩でございますねというような事を言って、暫くもじもじしていた。宮沢は自分が・・・ 森鴎外 「独身」
・・・借家人の為ることは家主の責任である。サアベルが強くて物が言えないようなら、サアベルなんぞに始から家を貸さないが好い。声はいよいよ高くなる。薄井の爺さんにも聞せようとするのである。 石田は花壇の前に棒のように立って、しゃべる女の方へ真向に・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・小指の爪で一寸擦ると、「こりゃ姉やんに持って来いやがなア。」と云いながらまた奥の間へ這入っていった。十 安次の小屋が組から建てられることに定ったと知ったとき、勘次は母親をその夜秋三の家へ送ったことを後悔した。しかし、今は・・・ 横光利一 「南北」
・・・その明りが消えると、また気になるので、またマッチを摩る。そして空虚を見ては気を安めるのである。 また一本のマッチを摩ったのが、ぷすぷすといって燃え上がった時、隅の方でこんなことをいうのが聞えた。「まぶしい事ね。」 フィンクはこの・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫