・・・まずこいつをとっちめて、――と云う権幕でしたから、新蔵はずいと上りざまに、夏外套を脱ぎ捨てると、思わず止めようとしたお敏の手へ、麦藁帽子を残したなり、昂然と次の間へ通りました。が、可哀そうなのは後に残ったお敏で、これは境の襖の襖側にぴったり・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張の真鍮の煙管の雁首をかえして、突いて火を寄せて、二ツ提の煙草入にコツンと指し、手拭と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 翁は、頭なりに黄帽子を仰向け、髯のない円顔の、鼻の皺深く、すぐにむぐむぐと、日向に白い唇を動かして、「このの、私がいま来た、この縦筋を真直ぐに、ずいずいと行かっしゃると、松原について畑を横に曲る処があるでの。……それをどこまでも行・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・で、足を踏張り、両腕をずいと扱いて、「御免を被れ、行儀も作法も云っちゃおられん、遠慮は不沙汰だ。源助、当れ。」「はい、同役とも相談をいたしまして、昨日にも塞ごうと思いました、部屋(と溜の炉にまた噛りつきますような次第にござります。」・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・男おはむきに深切だてして、結びやるとて、居屈みしに、憚りさまやの、とて衝と裳を掲げたるを見れば、太脛はなお雪のごときに、向う脛、ずいと伸びて、針を植えたるごとき毛むくじゃらとなって、太き筋、蛇のごとくに蜿る。これに一堪りもなく気絶せり。猿の・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・村々浦々の人、すでに舟とともに散じて昼間のさわがしきに似ずいと寂びたり。白馬一匹繋ぎあり、たちまち馬子来たり、牽いて石級を降り渡し船に乗らんとす。馬懼れて乗らず。二三の人、船と岸とにあって黙してこれを見る。馬ようやく船に乗りて船、河の中流に・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・客はなんにも所在がないから江戸のあの燈は何処の燈だろうなどと、江戸が近くなるにつけて江戸の方を見、それからずいと東の方を見ますと、――今漕いでいるのは少しでも潮が上から押すのですから、澪を外れた、つまり水の抵抗の少い処を漕いでいるのでしたが・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・悪かしこい読者は、はじめ五、六行読んで、そっと、結末の一行を覗き読みして、ああ、まずいまずいと大あくび。よろしい、それでは一つ、しんじつ未曾有、雲散霧消の結末つくって、おまえのくさった腹綿を煮えくりかえさせてあげるから。 そうして、それ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・く決意仕り、ひとり首肯してその夜の稽古は打止めに致し、帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い、鼓膜は別に何ともなっていませんとの診断を得てほっと致し、さらに勇気百倍、阿佐ヶ谷の省線踏切の傍なる屋台店にずいとはいり申候。酒不足の折柄、老生もこ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・縁日の人出が三人四人と次第にその周囲に集ると、爺さんは煙管を啣えて路傍に蹲踞んでいた腰を起し、カンテラに火をつけ、集る人々の顔をずいと見廻しながら、扇子をパチリパチリと音させて、二、三度つづけ様に鼻から吸い込む啖唾を音高く地面へ吐く。すると・・・ 永井荷風 「伝通院」
出典:青空文庫