・・・そのせいかお島婆さんは、毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子伝いに、竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・一人の人間の髪の毛をつかんで、ずっぷり水へ漬け、息絶えなんとすると、外気へ引きずり出して空気を吸わせ、いくらか生気をとりもどして動きだすと見るや、たちまち、また髪を掴んで水へもぐらせる、拷問そっくりの生活の思いをさせた。 一九三二年の春・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・しんから、ずっぷりと、暗く明るく泥濘のふかい東北の農村の生活に浸りこんで、そこに芽立とうとしている新鮮ないのちの流動を描き出してみたいと思っている。 一九四七年四月〔一九四七年六月〕・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・だが、それらは今思えばどれも熾な生活力に充ちた親たちの性格があげた波の飛沫で、私はそのしぶきをずっぷりと浴びつつ、自分も、あの波この波をその波のうねりに加えながら、暗い廊下を自分の小部屋へ引き上げて来る。その廊下の暗さが独特によかった。部屋・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・更に更にたたかいつつある大衆、たたかいを欲しない大衆の内部へずっぷりつかる必要がある。「前衛の目」はプロレタリア・リアリストの目でなければならない。 一九三一年の「ナップ」方針書は、明かにこのことについてもプロレタリア作家の階級的任務を・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ペーヴメントを濡し薄い女靴下をびっしょりにして降る雨は、自動車がほろの上にしぶきを立てつつ孤独に走る両側で夏の緑をずっぷり溶かした。 驟雨が上る。翌日は蒸し暑い残暑だ。樹がロンドンじゅうで黄葉した。 空は灰色である。雨上りのテームズ・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫