・・・ 曳いて来たは空車で、青菜も、藁も乗って居はしなかったが、何故か、雪の下の朝市に行くのであろうと見て取ったので、なるほど、星の消えたのも、空が淀んで居るのも、夜明に間のない所為であろう。墓原へ出たのは十二時過、それから、ああして、ああし・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・不味い下宿屋の飯を喰っていても牛肉屋の鍋を突つくような鄙しい所為は紳士の体面上すまじきもののような顔をしていた。が、壱岐殿坂時代となると飛白の羽織を着初して、牛肉屋の鍋でも下宿屋の飯よりは旨いなどと弱音を吹き初した。今は天麩羅屋か何かになっ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・「こらこら、そんな所為をする勿」と二葉亭は柔しく制しながらも平気で舐めさしていた。時に由ると、嬉しくて堪らぬように踵から泥足のまま座敷まで追掛けて来てジャレ付いた。ジャレ付くのが可愛いような犬ではなかったが、二葉亭はホクホクしながら、「こら・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ お源は亭主のこの所為に気を呑れて黙って見ていたが山盛五六杯食って、未だ止めそうもないので呆れもし、可笑くもなり「お前さんそんなにお腹が空いたの」 磯は更に一椀盛けながら「俺は今日半食を食わないのだ」「どうして」「今日彼・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・の機は螺線的運動にあり」というのサ。なんでも物の発生するというのは君も知ッている通り「力」の所為サ。その力で逐いやらるるものは則ち先にいうた原則で必らず螺旋的に動くのサ。ソコデこの螺線的運動は力のある限りは続くのだ。何故螺線的運動をするかと・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・勿論道家と仏家は互に相奪っているから、支那において既に混淆しており、従って日本においても修験道の所為など道家くさいこともあり、仏家が「九字」をきるなど、道家の咒を用いたり、符ふろくの類を用いたりしている。神仏混淆は日本で起り、道仏混淆は支那・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ある部分は道理だとも思うが、ある部分は明らかに他人の死殻の中へ活きた人の血を盛ろうとする不法の所為だと思う。道理だと思う部分も、結局は半面の道理たるに過ぎないから、矛盾した他の半面も同じように真理だと思う。こういう次第で心内には一も確固不動・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・トリツク怒濤、実ハ楽シキ小波、スベテ、コレ、ワガ命、シバラクモ生キ伸ビテミタイ下心ノ所為、東京ノオリンピック見テカラ死ニタイ、読者ソウカト軽クウナズキ、深キトガメダテ、シテハナラヌゾ。以上。 山上の私語。「おもしろく読みました。・・・ 太宰治 「創生記」
・・・I say ! Herr Meister ! Far away, far away ! One dollar, all dive ! などと言っているらしい。自分はどうしても銭をなげる気になれなかった。 船が出る時桟橋に立った見送りの一・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・下手いのは病気の所為だと思い玉え。嘘だと思わば肱を突いて描いて見玉え」という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう。子規がこの画を描いた時は、余はもう東京にはいなかった。彼はこの画に、東菊活けて置・・・ 夏目漱石 「子規の画」
出典:青空文庫