・・・が、友だちはそれで黙っていても、親戚の身になって見ると、元来病弱な彼ではあるし、万一血統を絶やしてはと云う心配もなくはないので、せめて権妻でも置いたらどうだと勧めた向きもあったそうですが、元よりそんな忠告などに耳を借すような三浦ではありませ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「遊んでいて飯が食えると自由自在にそんな気持ちも起こるだろうな」 何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰があたりますよ」 彼も思わず・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「だから、皆で秘すんだから、せめて三ちゃんが聞かせてくれたって可じゃないかね。」「むむ、じゃ話すだがね、おらが饒舌ったって、皆にいっちゃ不可えだぜ。」「誰が、そんなことをいうもんですか。」「お浜ッ児にも内証だよ。」 と密・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・畑の中に百姓屋めいた萱屋の寺はあわれにさびしい、せめて母の記念の松杉が堂の棟を隠すだけにのびたらばと思う。 姉がまず水をそそいで、皆がつぎつぎとそそぐ。線香と花とを五つに分けて母の石塔にまで捧げた。姉夫婦も無言である、予も無言である。・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・めて肩にかけながら、「私は越前福井の者でござりまするが先年二人の親に死に別れてしまったのでこの様な姿になりましたけれ共それがもうよっぽど時はすぎましたけれ共どうしてもなくなった二親の事が忘られないのでせめて死後供養にもと諸国をめぐり歩くもの・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・しかし、その願いもかまわないばかりか、せめて、そのお姉さんの顔を一目でもいいから見たいものだと思いました。「お母さま、そのお姉さんは、どんなお方でしたの?」と、のぶ子は、どうかして、そのかわいがってくださったお姉さんを、できるだけよく知・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・らない返事をしていたんだけど、もう年が年だからって、傍でヤイヤイ言うものだから、私もとうとうその気になってしまったようなわけでね……金さん、お前さんも何だわ――今さらそう言ったってしようがないけど――せめて無事だというだけでも便りをしておく・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性らしかったし、それに、大阪から東京まで何里あるかも判らぬその道も、文子に会いに行くのだと思えば遠い気もしなかった、……とはいうものの、せめて汽車賃の算段がついてからという考えも、もちろん泛ば・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・死んですぐその年に義母が来たのだが、それからざっと二十年の間私たちは大部分旅で暮してきて、父とも親しく半年といっしょに暮した憶えもなく過してきたようなわけで、ようようこれからいっしょに暮せる時が来た、せめて二三年は生きてもらって好きな酒だけ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・「ついてはご自身で返事書きたき由仰せられ候まま御枕もとへ筆墨の用意いたし候ところ永々のご病気ゆえ気のみはあせりたまえどもお手が利き候わず情けなき事よと御嘆きありせめては代筆せよと仰せられ候間お言葉どおりを一々に書き取り申し候 必・・・ 国木田独歩 「遺言」
出典:青空文庫