・・・そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括った総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋というものはこの間まで何でも売っていた。襟とか襟飾・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対していわゆるゼントルマンに比較して考えたのであります。 それからその次に或人が外国か・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・真理は相対論者のいう如く相対的なものではなく、いわゆる直覚論者のいう如くに一度的に決定的なものでもない。問題は無限の解決を含み、解決は無限の問題を含んでいるのである。私がかつて歴史的世界は課題において自己同一を有つといったことも、此から理解・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・我らの相対して相言う能わざりし所に、言語はおろか、涙にも現わすことのできない深き同情の流が心の底から底へと通うていたのである。 余も我子を亡くした時に深き悲哀の念に堪えなかった、特にこの悲が年と共に消えゆくかと思えば、いかにもあさましく・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・果して以上の相対説を許すや否や、我輩の聞かんと欲する所なり。若しも然らずして単に婦人の一方のみを警しめながら、一方の男子には手を着けず、恰も之を飼放にして自儘勝手を許すときは、柔和忍辱の教、美なりと言うも、唯是れ奴隷の心得と言う可きのみ。夫・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然りといえども、智愚相対してその間に不和あれば、智者まず他を容れてこれを処置せざるべからず。 ゆえに真の愚民に対しては、政府まずその愚を容れてこの水掛論の処置に任せざるべからずといえども、本編の主として論ずる学者にいたりては、すなわちこ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・某の東北徒歩旅行は始めよりこの徒歩旅行と両々相対して載せられた者であったが、その文章は全く幼稚で別に評するほどのものではなかった。独り楽天の文は既に老熟の境に達して居てことさらに人を驚かすような新文字もないけれどそれでありながらまた人を倦ま・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・客観的美 積極的美と消極的美と相対するがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・生れたばかりの嬰児も代議士を志願してフロックコートを着て政見を発表したり燕尾服を着て交際したりしなければいけない、又小学校の一年生にエービースィーを教えるなら大学校でもなぜ文学より見たる理論化学とか、相対性学説の難点とかそんなことばかりやっ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
出典:青空文庫