・・・ 私には、こういう幸福、不幸の対比がそれを書いた人自身が自分の生き方、闘いの外部的な表れかたの形の判断の上にも適用するのであろうと思い、不安を感じた。 何故なら、新しい歴史的世代がそれぞれの事情の中で、どうしても経て克服してゆかなけ・・・ 宮本百合子 「「ゴーリキイ伝」の遅延について」
・・・日本文学との対比を考えます。「茂吉ノート」で「自然はコスモスであることを失ってはいない」と言った人は、それでも、色々殊勝な心がけがあるらしいことよ。文学は文学であることを忘られない作家の一人であるらしくみえます。ユーゴーその他の作品はずっと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ このことは明瞭に大正初期に見られた歴史小説流行の現象と対比して見られなければならないと思う。その当時、主として『新思潮』の同人たちが、歴史的題材の小説に赴いたことの心理的要因には第一次欧州大戦につれて擡頭した新しい社会と文学の動きに対・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・においてそこに膠着せざるを得なかった事情と対比した。 尾崎、小林両氏の私小説論は、「純文学であって通俗小説でもある」純粋小説論の成立点を技術的には近代人の自意識において解決しようとしている横光利一氏が、却って、近代日本における複雑独自な・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 銃後の婦人に求められている緊張、活動とその性質と、これらの消耗品との性質を対比したとき、私たち女の胸に快き納得を実感することはいささかむずかしいのである。晩秋に芳しいさんまを、豆にかえて、戦場の人々を偲びながら子供らに食べさせる物価騰・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・世界人類の福祉という公的な観念と対比すれば、日本の軍閥の意味した「日本のため」が、私的な性質を帯びたものであったことを、今日否定する人はないであろう。 第一歩で、とりちがえて提出された、日本における公私の逆立ちは、戦争が進むにつれ次第に・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
・・・のなかで、著者はこの問題において、志賀直哉氏の言葉と横光利一氏の言葉を何と適切に対比して、批評していることだろう。 志賀直哉氏は「テーマがあってもモチーフが自分の中に起ってくれなけりゃ書けない」という態度である。横光利一氏はそれに対して・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・極端な対比というかもしれないが、昔の奴隷市でも女奴隷は美しい上に必ず強壮でなければならなかったにちがいない。病気という不幸が少くとも人間共通の不幸として、そこへ特別女であるために生じる一層の不幸というものが加わって来ないような生活をつくり出・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ 折々婦人作家たちが、こういう場面で日常の社会問題をとりあげ、女としての土台から直接な気持で批判を行っているのは、今日同年輩の男の作家たちの社会時評とは遠い生活態度と対比して、様々の感想を喚びさまされる。 その国の進歩的な婦人作家た・・・ 宮本百合子 「女性の教養と新聞」
・・・『文化集団』では又、上述の二つの論文との対比によって、われわれに教えるところのある小松清氏の「ソ作家大会と新個人主義」という論文が発表されている。小松氏は第一回全ソ作家大会の重要性の一つは、かつて「ラップ」によって「ブルジョア自由主義も・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
出典:青空文庫