・・・――明日息子達が川端田圃の方へ出かけるから、俺ァひとつ榛の木畑の方へ、こっそり行ってやろう――。 二 畑も田圃も、麦はいまが二番肥料で、忙しい筈だった。――榛の木畑の方も大分伸びたろう。土堤下の菜種畑だって、はやくウ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 浄瑠璃と草双紙とに最初の文学的熱情を誘い出されたわれわれには、曲輪外のさびしい町と田圃の景色とが、いかに豊富なる魅力を示したであろう。 その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 凡門巷を過行く行賈の声の定めがたきは、旦暮海潮の去来するにもたとえようか。その興るに当っては人の之に意を注ぐものなく、その漸く盛となるや耳に熟するのあまり、遂にその消去る時を知らしめない。服飾流行の変遷も亦門巷行賈の声にひとしい。・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・「田圃へかかったね」と背中で云った。「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。 自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・そもそも文字の意味を広くしていえば、政治もまた学問中の一課にして、政治家は必ず学者より出で、学校は政談家を生ずるの田圃なれども、学校の業成るの日において、その成業の人物が社会の人事にあたるに及びては、おのおのその赴くところを異にせざるをえず・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちょっとの間、亜鉛の板をひろげたような雪の田圃のうえに横にならんで仮泊ということをやりました。 どの艦もすこしも動きません。 まっ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしゃんと立・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・けれども亮二はもうそっちへは行かないで、ひとり田圃の中のほの白い路を、急いで家の方へ帰りました。早くお爺さんに山男の話を聞かせたかったのです。ぼんやりしたすばるの星がもうよほど高くのぼっていました。 家に帰って、厩の前から入って行きます・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・ 関東の農村は、汽車でとおっても、雑木林をぬけたところには畑があり、そこでヒエが穂を出しているかと思うと、南瓜畑があり、田圃の上にはとうもろこしのひろい葉がゆれている。草堤に萩が咲いていたりもする。 ところが秋田から山形沿線の稲田の・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・吉田首相がどんなに綺麗な白足袋をはいているかということではなくて、続々と失業させられている労働者の食べられるもの、着ていられるものは何か、田圃で働いている人々、苦しい中小商工業の人々の生活で、赤坊の着ているものはどういうものかということに、・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・爺いの背中で、上野の焼けるのを見返り見返りして、田圃道を逃げたのだ。秩父在では己達を歓迎したものだ。己の事を江戸の坊様と云っていた。」「なんでも江戸の坊様に御馳走をしなくちゃあならないというので、蕎麦に鳩を入れて食わしてくれたっけ。鴨南・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
出典:青空文庫