・・・南向の硝子窓に向って机、椅子、右手の襖際に木箱を横にした上へ布をかけこれは茶箪笥の役に立てる。電燈に使い馴れた覆いをかけると、狭い室内は他人の家の一部と思えないような落付きをもった。陽子は、新らしい机の前にかけて見た。正面に夜の硝子窓があっ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・彼女は東京に出て、墓地を埋めて建てた家を知らずに借りて住んだ。そこで二人目の子供を産んで半月立った或る夕方、茶の間に坐っていた女がいきなり亭主におこりつけた。「いやな人! 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・あの人たちは、今これ迄とはちがって一体にしずんだ色や線のなかにとけこんでしまったが、そうやって一応もとの自分を消している間に、真実な簡素の美というようなねうちのあるものを身につけてゆく、どんな実際のてだてを現在の日常生活のなかに持っているの・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・ヨーロッパ、アメリカの製作者たちの多くは、そういう場面となると何か特別ロマンティックな雰囲気、道具だてを必要とすると考えるような習慣からまだまだ自由になっていない。そこまでは比較的自然に運ばれて来た観客の感情がそのような場面に近づくにつれ次・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・ 何んでも、彼でも買わなけりゃあならないのに、八百屋、魚屋に、御義理だてはしてられないじゃあないかえ。 お君位の時には、まだ田舎に居て、東京の、トの字も知らなかったくせに、今ではもうすっかり生粋の江戸っ子ぶって、口の利き様でも、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・その襦袢の上にお召のどてらを着て伊達をグルグル巻にして机の上に頬杖をついたお龍の様子をその背景になって居る地獄の絵と見くらべて男はそばに居るのが恐ろしいほど美くしいと思って見た。御龍のなめらかなひやっこいきめの間から段々自分の命を短くする毒・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 菊見せんべいの手前に、こまごまと軒を並べている小商人の店と店との庇あわいの一つの露路をはいってゆくと、その裏は案外からりと開いていて、二間、三間ぐらいの一軒だてがいくつかあった。その右のはずれの一軒が、おゆきばあやの住居だった。 ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・しかしローレンスが性について語るとき、彼と彼女とは裸の神々のようにむき出しで、自然がその営みにおいてそうであるように、それ自体充実したコースをたどって、かくしだてがない。そのような公明正大な性のあらわれに対して、おどろかされた人々は、どうと・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ 東北の伊達一族は、その胆力と智略とで、徳川から特別の関心をもたれた。聰明な伊達の家長たちは、その危険を十分に洞察した。伊達政宗がわざと大酔して空寝入りをし、自分の大刀に錆の出ていることを盗見させた逸話は有名である。伊達模様という一つの・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・コティをうしろだてにしていた彼女がムーランの舞台や楽屋でふれた人々は、彼女の黒い皮膚を美しいとほめこそすれ、その肌の色のために彼女に出入り出来なくさせた宴会場はなかったろう。 アメリカへ戻れば、アメリカには黒人が一つの社会問題として存在・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
出典:青空文庫