・・・何だか急に口髭さえ一層だらりと下ったようである。「これは君の責任だ。早速上申書を出さなければならん。生憎乗客は残っていまいね?」「ええ、一時間ばかり前に立ってしまいました。もっとも馬ならば一匹いますが。」「どこの馬かね?」「・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・何でも、同じ御堂に詣っていた連中の中に、背むしの坊主が一人いて、そいつが何か陀羅尼のようなものを、くどくど誦していたそうでございます。大方それが、気になったせいでございましょう。うとうと眠気がさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはな・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・が、急にふり返ると、やはりただ幕ばかりが、懶そうにだらりと下っている。そんな事を繰り返している内に、僕はだんだん酒を飲むのが、妙につまらなくなって来たから、何枚かの銭を抛り出すと、そうそうまた舟へ帰って来た。「ところがその晩舟の中に、独・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの後に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願するように話しかけた。「あの女の子はどうして出ないの?」「女の子? どこかに女・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・レエン・コオトは今度もまた僕の横にあった長椅子の背に如何にもだらりと脱ぎかけてあった。「しかも今は寒中だと云うのに」 僕はこんなことを考えながら、もう一度廊下を引き返して行った。廊下の隅の給仕だまりには一人も給仕は見えなかった。しか・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。 K市街地の町端れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は髑髏のそれのような真暗な眼を往来に向けて開いていた。五軒目には人が住ん・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ もう一息で、頂上の境内という処だから、団扇太鼓もだらりと下げて、音も立てず、千箇寺参りの五十男が、口で石段の数取りをしながら、顔色も青く喘ぎ喘ぎ上るのを――下山の間際に視たことがある。 思出す、あの……五十段ずつ七折ばかり、繋いで・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 織次は、小児心にも朝から気になって、蚊帳の中でも髣髴と蚊燻しの煙が来るから、続けてその翌晩も聞きに行って、汚い弟子が古浴衣の膝切な奴を、胸の処でだらりとした拳固の矢蔵、片手をぬい、と出し、人の顋をしゃくうような手つきで、銭を強請る、爪・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・太きニッケル製の時計の紐がだらりとあり。村越 さあ、どうぞ。七左 御免、真平御免。腰を屈め、摺足にて、撫子の前を通り、すすむる蒲団の座に、がっきと着く。撫子 ようおいで遊ばしました。七左 ははっ、奥さん。(と・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
出典:青空文庫