・・・二十八歳の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談に思えず、十八の歳から体を濡らして来た一代にとっては、地道な結婚をするまたとない機会かも知れなかった。思えば自分ももう二十六、そろそろ身を堅めてもいい歳だろう。都ホテルや京都ホテルで嗅いだ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ああ、有難いこっちゃ、血なりゃこそこんなむごい父親でもお父っちゃんと呼んで想いだしてくれたのかと、さすがに泣けて、よっぽど将棋をやめて地道な働きを考え、せめて米一合の持駒でもつくろうとその時思ったが、けれど出来ずにやはり将棋一筋の道を香車の・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ ヴァイオリンなぞ艶歌師の弾くものだと思いこんでいた親戚の者たちは、庄之助に忠告して、「ヴァイオリンみたいなもの廃めてしもて、何ぞ地道な商売をしたらどないや」 と言うのだったが、きかなかった。そして相変らず「津路式教授法」と自称・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・お腹の子供のこともあることやし、金のなくならぬうちに早よ地道な商売をしようと照枝は言い、坂田は伏し拝んだ。いろいろ考えて、照枝も今まで水商売だったから、やはりこんども水商売の方がうまにあうと坂田はあやしげな易判断をした。 そして、同じや・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・昭和十一年でしたか、六畳一間に狭い土間附きのまことにむさくるしい小さい家を借りまして、一度の遊興費が、せいぜい一円か二円の客を相手の、心細い飲食店を開業いたしまして、それでもまあ夫婦がぜいたくもせず、地道に働いて来たつもりで、そのおかげか焼・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、で・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道に御拾いでおいでになる文章を云うのであります。これはけっして悪口ではありません、御拾いも時々は結構であります。ただ年が年中足を擂木にして、火事見舞に行くんでも、葬式の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・は、スウィスの豪奢な療養所内の男女患者の生活を描いているが、この手のこんだ心理小説も、結核とたたかう地道な人々の人生を語るものではない。 わたしが、これをかいている机の上にのっている十篇の原稿は、これらの有名なむかしの小説と現代の結核に・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
・・・政治について婦人のもたなければならない自覚をもてと云われるなら、それは、政治の事大主義に膝を折ることではなくて、小さいながらまともな種をより出して、それを成長させる地道な見とおしをもつことではなかろうか。 ウォーレスの進歩党綱領が発表さ・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・そして、街頭は、人出が繁いのであるが、さて、今日地道な生活の人々はもう値段かまわぬ買物をして暮す気分ではなくなった。戦時利得税をいずれ払わなくてはならず、しかも、大財閥に対してのように、政府が様々の法式を考案して、とり上げた金をまた元に戻し・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
出典:青空文庫