・・・しかし少し違うのは冬の夜の窓からちらちらと燈火を見せるばかりでない、折り折り楽しそうな笑声、澄んだ声で歌う女の唱歌を響かしたかったのです、……」「だって僕は相手が無かったのですもの」と上村が情けなそうに言ったので、どっと皆が笑った。・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・『オヤいないのだよ』と去ってしまった、それから五分も経ったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然立って着衣の前を丁寧に合わして、床に放棄ってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段を・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・古いが、もとは相当にものが良かったらしい外套の下から、白く洗い晒された彼女のスカートがちらちら見えていた。「お前は、人をよせつけないから、ザンパンが有ったってやらないよ。」「あら、そう。」 彼女は響きのいい、すき通るような声を出・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・山のような岩の大塊のかげに、蒼白にぶるぶる顫えている幽霊のような顔が二ツ三ツちらちらしたばかりだ。「これだけしか生き残らなかったんだ!」突嗟に井村は思った。大塊の奥の見えない坑道からふるえる声がきこえて来た。それが土田だった。そこは、出て来・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・雲の余りの雪は又ちらちらと降って来た。女は門の内側に置いてあった恐ろしい大きな竹の笠、――茶の湯者の露次に使う者を片手で男の上へかざして雪を避けながら、片手は男の手を取って謹まやかに導く。庭というでは無い小広い坪の中を一ト筋敷詰めてある石道・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 町の燈火がちらちら俥の上から見えるまでに、おげんは可成暗い静かな道を乗って行った。彼女は東京のような大都会のどの辺を乗って行くのか、何処へ向って行くのか、その方角すらも全く分らなかった。唯、幌の覗き穴を通して、お玉を乗せた俥の先に動い・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・白手拭を被った女たちがちらちらとその中を動く。蜜柑を積んだ馬が四五匹続いて出る。やはり女が引いている。向いの、縞のようになった山畠に烟が一筋揚っている。焔がぽろぽろと光る。烟は斜に広がって、末は夕方の色と溶けてゆく。 女の人も自分のそば・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ A新聞社の前では、大勢の人が立ちどまり、ちらちら光って走る電光ニュウスの片仮名を一字一字、小さい声をたてて読んでいる。兄も、私も、その人ごみのうしろに永いこと立ちどまり、繰り返し繰り返し綴られる同じ文章を、何度でも飽きずに読むのである・・・ 太宰治 「一燈」
・・・筆を投じて、ソファに寝ころび、彼は、女房とのこれ迄の生活を、また、決闘のいきさつを、順序も無くちらちら思い返してみたのでした。あ、あ、といちいち合点がゆくのです。私は女房を道具と思っていたが、女房にとっては、私は道具で無かった。生きる目あて・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 街道には久しく村落がないが、西方には楊樹のやや暗い繁茂がいたるところにかたまって、その間からちらちら白色褐色の民家が見える。人の影はあたりを見まわしてもないが、青い細い炊煙は糸のように淋しく立ちがる。 夕日は物の影をすべて長く曳く・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫