・・・当時隅田川上流の蒹葭と楊柳とはわたくしをして、セーヌ河上の風光と、並せてまたアンリ・ド・レニエーが抒情詩を追想せしめる便りとなったからである。今日文壇の士に向って仏蘭西の風光とその詩篇とを説くのは徒に遼豕の嗤を招ぐに過ぎないであろう。しかし・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・朝夕顔を見合わす間柄はそんなに追従いうことの出来ないのは当然である。だが其兄とさえ昵まぬ太十だから、どっちかといえばむっつりとした女房は実際こそっぱい間柄であった。孰れの村落へ行っても人は皆悪戯半分に瞽女を弄ぼうとする。瞽女もそれを知らない・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・怖いのは真実に追掛けられている最中なので、追想して話す時にゃ既に怖さは余程失せている。こりゃ誰でもそうなきゃならんように思う。私も同じ事で、直接の実感でなけりゃ真劒になるわけには行かん。ところが小説を書いたり何かする時にゃ、この直接の実感と・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ 動物に親しみやすい子供の生活に、これぞと云う楽しい追想も遺して行かなかったことを見ると、白は、当時の私共の生活のように寂しい栄えないものであったと思われる。健康な、子供とふざけて芝生にころがり廻る幸福な飼犬と云うよりは、寧ろ、主人の永・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・有のままをいえば、遠く過ぎ去った小学校時代を屡々追想して、その愛らしい思い出に耽るには、今の自分は、一方からいえば余り大人になり過ぎ、一方からいえば、又、余りに若過ぎる時代にある。丁度、女学校の二三年頃、理由もなく幼年時代をいつくしむような・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・の苦しさから、意識を飛躍させようとして、たとえばある作家の作品に描かれているように、バリ島で行われている原始的な性の祭典の思い出や南方の夜のなかに浮きあがっている性器崇拝の彫刻におおわれた寺院の建物の追想にのがれても、結局、そこには、主人公・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ 一平氏が妻であり芸術家であったかの子さんへの追想として書かれた文をよんでも、そういう私の分らなさは、わかったものとならなかった。 それにしても、このわからなさは何なのだろう。私だけの心持で、その一筋を追いつめてゆくと、悲しさに通ず・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・若い女性、従来若いと云えば、直ちに幼稚な頭脳、浅い判断と云う追従語によって形容された青年は、少くとも、生命に満ちた心其もので現代の不安を感じて居ります。魂を強め、生活に力を与える暗示を得る事は望んで居ります。一般に、彼等自ら、何とも知らぬ、・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 小さい魂や、浅薄な動機からの追従も、物によってはそのわなにかからずにすむ。若し私が、貴方の御両親は、真に素晴らしい御金持で、と云われたと仮定して見る。此那讚辞に対して、私は元より無関心である。 私は、平静な微笑をもって、其に報い得・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・アカデミックな要素が加わったことで、一部の人々の極端な事大的追従が些か制せられるとあれば無意味ではないようなものの、長谷川如是閑氏が『セルパン』八月号の小論でいっている「保護」と「自由」との現代日本における現実的性格は、この団体に参加した如・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
出典:青空文庫