・・・ 一九〇一年、スイス滞在五年の後にチューリヒの公民権を得てやっと公職に就く資格が出来た。同窓の友グロスマンの周旋で特許局の技師となって、そこに一九〇二年から一九〇九年まで勤めていた。彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査を・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・が実ってやがてそのさくが開裂した純白な綿の団塊を吐く、うすら寒い秋の暮れに祖母や母といっしょに手んでに味噌こしをさげて棉畑へ行って、その収穫の楽しさを楽しんだ。少しもう薄暗くなった夕方でも、このまっ白な綿の団塊だけがくっきり畑の上に浮き上が・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ この糸車の追憶につながっている子供のころの田園生活の思い出はほんとうに糸車の紡ぎ出す糸のごとく尽くるところを知らない。そうして、こんなことを考えていると、自分がたまたま貧乏士族の子と生まれて田園の自然の間に育ったというなんの誇りにもな・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ 絶えずあとしざりをしているものを追いかけて突くのでは、相対速度の減少のために衝撃が弱められる、これに反して向かって来るのを突くのではそれだけの得がある、という事は力学者を待たずとも見やすい道理であるが、ベーアは明らかにこれを利用して敵・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・このステッキがドイツの stechen につながるとすると今度は「突く」「つつく」が steik に近づいて来るし、また後者と「鋤く」ともおのずからいくぶんの縁故を生じて来るのである。 こんな物ずきな比較は現在の言語学の領域とは没交・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・その有頂天の場面が前にあるので、後に故郷の旧知の観客の前で無理やりに血を吐く思いで叫ばされるあのコケコーコーの悲劇が悲劇として生きてくるのではないかと思う。しかしこの芝居にはそんな因縁は全然省略されているから、鶏のまねが全く唐突で、悪どい不・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある。反対にまた、心の自由を得ない人間の憐むべく笑うべくまた悲しむべき現象を記録した・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・過去百年の間に築き上げられたこの大規模の基礎を離れて空中に楼閣を築く事は到底不可能なことである。しかし物理学の基礎的知識の正当な把握は少しの努力によって何人にでもできることであるから、それを手にした上で篤志の熱心なる研究者が、とらわれざる頭・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・びたような感じのする料理を食べたり、あまりにも自分の心胸と隔絶した、朗らかに柔らかい懈い薄っぺらな自然にひどく失望してしまったし、すべてが見せもの式になってしまっている奈良にも、関西の厭な名所臭の鼻を衝くのを感じただけであった。私がもし古美・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・その上防波堤へ上がって、砂ぶかい汽車や電車の軌道ぞいの往来へあがってみると、高台の方には、単調な松原のなかに、別荘や病院のあるのが目につくだけで、鉄拐ヶ峰や一の谷もつまらなかった。私は風光の生彩をおびた東海の浜を思いださずにはいられなかった・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫