・・・ 主観的信念より、客観的組織に就くことは自然として、何等疑いを挾まない。けれど、これしも空想的社会主義から科学的社会主義にいれるものとして価値を差別せんとするに対しては、我等は見界を異にせざるを得ないであろう。 所謂、空想的社会主義・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・ある夜、男は、いつものように静かな寝静まった町の往来を歩いていると、雲突くばかりの大男が、あちらからのそりのそりと歩いてきた。見上げると二、三丈もあるかと思うような大男である。「おまえはだれか?」と、妙な男は聞いた。「おれは電信柱だ・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
・・・議論よりも実際に就くべき問題である。 思索は、書物からも獲られるし、実際の人生からも獲られる。 書物からの場合は、何れかといえば冥想的であるが、実際からの場合は暗示的である。殊に後者の場合は、前に述べた観察と錯綜し纒綿する。 思・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・町へ着くには着いても、今夜からもう宿を取るべき宿銭もない。いや、午飯を食うことすらできないのだ。昨夜は夜通し歩いて、今朝町の入口で蒸芋を一銭がとこ求めて、それでとにかく朝は凌いだ。握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・と店から声をかけられて、お光は始めて気がつくと、若衆の為さんが用足しから帰ったので、中仕切の千本格子の間からこちらを覗いている。「三吉は今二階だが、何か用かね?」「なに、そんならいいんですが、またどっかへ遊びにでも出たかと思いまして・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・こんな事のあったとは、彼は夢にも知らなかった、相変らず旅廻りをしながら、不図或宿屋へ着くと、婢女が、二枚の座蒲団を出したり、お膳を二人前据えたりなどするので「己一人だよ」と注意をすると、婢女は妙な顔をして、「お連様は」というのであった、彼も・・・ 小山内薫 「因果」
・・・そうして、唯早くしろ早くしろと子供をせッつくばかりでした。 子供は為方なしに、泣く泣く空から下がっている綱を猿のように登り始めました。子供の姿は段々高くなると一緒に段々小さくなりました。とうとう雲の中に隠れてしまいました。 みんなは・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・そして気がつくと、女の眼はなおもじっと動かなかった。もう一方の眼はあらぬ方に向けられていた。斜視だなと思った。とすれば、ひょっとすると、女の眼は案外私を見ていないのかもしれない。けれどともかく私は見られている。私は妙な気持になって、部屋に戻・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ こうして客引きが出迎えているところを見ると、こんな夜更けに着く客もあるわけかとなにかほっとした。それにしても、この客引きのいる宿屋は随分さびれて、今夜もあぶれていたに違いあるまいと思った。あとでこの温泉には宿屋はたった一軒しかないこと・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・平手将棋では第一手に、角道をあけるか、飛車の頭の歩を突くかの二つの手しかない。これが定跡だ。誰がさしてもこうだ。名人がさしてもヘボがさしても、この二手しかない。端の歩を突くのは手のない時か、序盤の駒組が一応完成しかけた時か、相手の手をうかが・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫