・・・同じ火の芸術の人で陶工の愚斎は、自分の作品を窯から取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取っては抛げ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵にしたと聞いています。いい心持の話じゃありませんか。」「ムム、それで六兵衛一家の基・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・まだその時分は陶工の名なんぞ一ツだって知っていた訳では無かったが、ただ何となく気に入ったので切とこの猪口を面白がると、その娘の父がおれに対って、こう申しては失礼ですが此盃がおもしろいとはお若いに似ずお目が高い、これは佳いものではないが了全の・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・朝、登校の途中、一個小隊くらいの兵士とすれちがった時、思いがけなく大声で、「修ッちゃあ!」と呼ばれて仰天した。中畑さんが銃を担いで歩いているのである。帽子をあみだにかぶっていた。予備兵の演習召集か何かで訓練を受けていたのであろう。中畑さ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ 翌朝、少年は登校した。教室の窓を乗り越え、背戸の小川を飛び越え、チャリネのテントめがけて走った。テントのすきまから、ほの暗い内部を覗いたのである。チャリネのひとたちは舞台にいっぱい蒲団を敷きちらし、ごろごろと芋虫のように寝ていた。学校・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ ごはんをすまして、戸じまりして、登校。大丈夫、雨が降らないとは思うけれど、それでも、きのうお母さんから、もらったよき雨傘どうしても持って歩きたくて、そいつを携帯。このアンブレラは、お母さんが、昔、娘さん時代に使ったもの。面白い傘を見つ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・私は、やはり一週間にいちどは、制服を着て登校した。Hも、またその新聞社の知人も、来年の卒業を、美しく信じていた。私は、せっぱ詰まった。来る日も来る日も、真黒だった。私は、悪人でない! 人を欺く事は、地獄である。やがて、天沼一丁目。三丁目は通・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・はじめ、父とふたり、父の実家に寄宿して、毎朝一緒に登校していたのであるが、それでは教育者として、ていさいが悪いのではないか、と父の実家のものが言い出し、弱気の父は、それもそうだ、と一も二もなく賛成して、さちよは、その女学校の寮にいれられた。・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・国府台に行って、利根を渡って、東郊をそぞろあるきするのも好い。 端午の節句――要垣の赤い新芽の出た細い巷路を行くと、ハタハタと五月鯉の風に動く音がする。これを聞くと、始めて初夏という感を深く感ずる。雨の降頻る中に、さまさまの色をした緑を・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・帰りの電車に揺られながらも、この一団のきたない粘土の死塊が陶工の手にかかるとまるで生き物のように生長し発育して行く不思議な光景を幾度となく頭の中で繰り返し繰り返し思い起こしては感嘆するのであった。 人間その他多くの動物の胚子は始めは球形・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイキングとやら称する亜米利加語を用いているが、わたくしの如き頑民に言わせると、古来慣用せられた登高の一語で足りている。 その年陰暦九月十三夜が陽暦のいつの日に当っていたか、わたくしは・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫