・・・ 自分如きも文芸家となったけれども、学窓にあったときには最も深い倫理学者になることを理想とし、当時倫理学が知識青年からかえり見られなかった頃に、それを公言し、ほこりともしていた。 文芸を愛好する故に倫理学を軽視するという知識青年の風・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 彼は与助には気づかぬ振りをして、すぐ屋敷へ帰って、杜氏を呼んだ。 杜氏は、恭々しく頭を下げて、伏目勝ちに主人の話をきいた。「与助にはなんぼ程貸越しになっとるか?」と、主人は云った。「へい。」杜氏は重ねてお辞儀をした。「今月・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・南の鉄格子の窓に映っている弱い日かげが冬至に近いことを思わせた。彼は、正月の餅米をどうしたものか、と考えた。「どうも話の都合が悪いんじゃ。」やっと帰ってきた杜氏は気の毒そうに云った。「はあ。」「貯金の規約がこういうことになっとる・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり、刻みこまれた字は読み難いほど石がところどころ削げ落ちている。自分・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・腕にかゝった醤油を前掛でこすり/\事務所へ行くと、杜氏が、都合で主人から暇が出た、――突然、そういうことを彼に告げた。何か仔細がありそうだった。「どうしたんですか?」「君の家の方へ帰って見ればすぐ分るそうだが……。」杜氏は人のいゝ笑・・・ 黒島伝治 「豚群」
京一が醤油醸造場へ働きにやられたのは、十六の暮れだった。 節季の金を作るために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。 醸造場では、従兄の仁助が杜氏だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・私は反古にして無くして仕舞いましたが、先達て此事を話し出した節聞いたらば、麗水君は今も当時写したのを持って居るという事でした。 わたくしは前にも申した通り学生生活の時代が極短くて、漢学の私塾にすらそう長くは通いませんでした。即ち輪講をし・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 伊能忠敬は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎の毛皮の帽子を冠った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極の果を想像しない迄も、巴里・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
出典:青空文庫