・・・祖母の云うのはみんな北海道開拓当時のことらしくて熊だのアイヌだの南瓜の飯や玉蜀黍の団子やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田先生へ行くと云って届けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員を超えたこと・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての研究は、極めて精密にされる必要がある。そして、当時のプロレタリヤ文学運動の解釈に加えられた歪曲が正される必・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ 津田さんが答辞をお読みに成ったって云っていらしったけれども、それは真個なの」「え真個。芳子さんは真個にお出来になるのよ」「だからあんなに御威張りになるの、おおいやだホホホホ」 友子さんは、政子さんがもう一遍喫驚して思わず目を大・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・それは、昔のヨーロッパが、封建諸王によって分割統治されていた時代の首都が、既に一定の文化水準に達していたということも原因である。けれども、もっと重大なことは、それらの封建都市は、やがて近代社会の発達とともに次第に市民的都市となって行ったとい・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・ 後継ぎになる筈の一彰さんという人は、大兵な男であったが、十六のとき、脚気を患った後の養生に祖母はその息子を一人で熱海の湯治にやった。そこでお酌なんかにとりまかれて、それがその人の一生の踏み出しを取り誤らせることになり、廃嫡となった。大・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 三階は、湯治客のすいている時なので空部屋が多い。静かな廊下を、二人はスケッチをもって、総子のいる方へ戻った。「長い大神楽だね」「その代りこんな傑作が出来た」「見て呉れ、よう。じゃない?」 吉右衛門の河内山の癖をもじって・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ ワグナーは晩年には、音楽は民衆をたやすく統治するための有効な手段だと皇帝に書いて、オペラの隆盛を援助させた。愚民政策としてすすめている。しかも一九三〇年には生みの親のブルジョア社会の感覚が古典的オペラへの興味からくずれ出してレヴューだ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・自分たちの祖国のせまくとも誇りあるべき土の上に、浮浪児や失業者や体を売って生きる女性群を放浪させながら、少数のものが自覚のおそい日本人民の統治しやすさについて談笑しながら彼等の国際的なハイボールを傾ける姿を、わたしたち日本の女は、やはり黙っ・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・溺愛していた祖母、母の母が、金をもたせて熱海へ湯治にやった。明治のはじめ、官員の若様が金をもって熱海へ来たのであったから、とりまきがついてお酌をあてがった。それがはじまりでこの人の一生は惨憺たるものとなった。祖母は、不良少年のようにしてしま・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・第一次ヨーロッパ大戦のとき、日本は最後の段階に連合国側に参加してチンタオだの南洋諸島だのを、ドイツから奪って統治するようになった。第一次大戦のとき日本で儲けたのは海運業者であった。船成金ができて、金のこはぜの足袋をはいたとさわがれたが、一般・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
出典:青空文庫