・・・風も静に川波の声も聞えず、更け行くにつれて、三押に一度、七押に一度、ともすれば響く艪の音かな。「常説法教化無数億衆生爾来無量劫。」 法の声は、蘆を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀の鳴き細る人の枕に近づくのである。 本所ならば七不思議の一ツ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・富の市を憎みて殺さむと思うことなかれというなり。ともすれば自殺せむと思うことなかれというなり。詮ずれば秀を忘れよというなり。その事をば、母上の御名にかけて誓えよと、常にミリヤアドのいえるなりき。 予は黙してうつむきぬ。「何もね、いま・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・修辞上の精妙を嘖々し、ドストエフスキーの『罪と罰』の如きは露国の最大文学であるを確認しつつもなお、ドストエフスキーの文章はカラ下手くそで全で成っていないといってツルゲーネフの次位に置き、文学上の批判がともすれば文章の好悪に囚われていた。例え・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・たとえば自然の風物に対しても、そこには日毎に、というよりも時毎に微妙な変化、推移が行われるし、周囲の出来事を眺めても、ともすればその真意を掴み得ないうちにそれがぐん/\経過するからである。しかし観察は、広い意味の経験の範囲内で、比較的冷静を・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・日常生活の拘束からわれわれの心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽くところを知らぬ欲望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか。 俳句を修業すると・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分は光沢のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。 しかしまた自分の不幸なるコスモポリチ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・郎川に日くらす行路雨雨ふれば泥踏なづむ大津道我に馬ありめさね旅人古寺雨風まじり雨ふる寺の犬ふせぎしぶきのぬれにうつるみあかし寒灯ともすれば沈灯火かきかきて苧をうむ窓に霰・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「ともすれば時勢の旋渦中に巻き込まれようとして纔に免れ」「辺務を談ぜないということを書いて二階に張り出し」たりした安井息軒の生きかたをそのままに眺めている鴎外の眼も、私に或る感興を与えた。この短い伝記の中に、鴎外にとって好ましい女の或る精神・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・けれ共自分は男だと思うと女、たかが十七の女に自分の心を占領されて居ると云う事をさとられるのはあんまりだと思ってともすれば向く足をたちなおしたちなおしあべこべの道を行った。お龍とすれ違う男と云う男は皆引きつけられる様に行きすぎたあともあたりを・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・女の感情生活は社会のひろい風に吹かれていないから、母性も粗野で愛情はともすれば動物的に傾きやすい。「家」という昔ながらの封建のしきたりは、どういう偶然で、どんな女を母という強制として一人の娘の運命にさし向けないとも限らないのである。隣家の小・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
出典:青空文庫