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・・・ ヘルマン・バアルは露都で得た芸術の酔いごこちをフランクフルト新聞に披瀝して、神のごときデュウゼをドイツに迎えようと叫んだ。これが導火線となって翌九二年デュウゼは初めてウィーンへはいった。彼女が空虚なるカアル劇場に歩み入った時には一・・・
和辻哲郎
「エレオノラ・デュウゼ」
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キェルケゴオルのドイツ訳全集は一九〇九年から一九一四年へかけて出版せられた。その以前にも前世紀の末八〇年代から九〇年代へかけて彼の著書はかなり翻訳せられたが、宗教的著作のほかは、かなり厳密を欠いたものであった。 彼に関する研究は、・・・
和辻哲郎
「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」