・・・こことあの足を見た所との間は、何百里と云う道程がある。そう思っている中に、足は見る見る透明になって、自然と雲の影に吸われてしまった。 その足が消えた時である。何小二は心の底から、今までに一度も感じた事のない、不思議な寂しさに襲われた。彼・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・己は袈裟に何を求めたのか、童貞だった頃の己は、明らかに袈裟の体を求めていた。もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に対する愛なるものも、実はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかった。それが証拠には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・「童貞聖麻利耶様、私が天にも地にも、杖柱と頼んで居りますのは、当年八歳の孫の茂作と、ここにつれて参りました姉のお栄ばかりでございます。お栄もまだ御覧の通り、婿をとるほどの年でもございません。もし唯今茂作の身に万一の事でもございましたら、・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・ それがウルスラ上人と一万一千の童貞少女が、「奉公の死」を遂げた話や、パトリック上人の浄罪界の話を経て、次第に今日の使徒行伝中の話となり、進んでは、ついに御主耶蘇基督が、ゴルゴダで十字架を負った時の話になった。丁度この話へ移る前に、上人・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・然し今私は性欲生活にかけて童貞者でないように聖書に対してもファナティックではなくなりました。是れは悪い事であり又いい事でした。楽園を出たアダムは又楽園に帰る事は出来ません。其処には何等かの意味に於て自ら額に汗せねばならぬ生活が待って居ます。・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ 左山中道、右桂谷道、と道程標の立った追分へ来ると、――その山中道の方から、脊のひょろひょろとした、頤の尖った、痩せこけた爺さんの、菅の一もんじ笠を真直に首に据えて、腰に風呂敷包をぐらつかせたのが、すあしに破脚絆、草鞋穿で、とぼとぼと竹・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房から墨田河原近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽して来たのやらそれからして一行も書いてない。水軍の策戦は『三国志』の赤壁をソックリそのままに踏襲したので、里見の天海たる丶大や・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・この世界化は世界の進歩の当然の道程であって、民族の廃頽でもなければ国家の危険でもないのである。 イツの時代にも保守と急進とは相対立して互に相反撥し相牽掣する。が、官僚はイツでも保守的であって、放縦危激な民論を控制し調節するが常である。官・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・自欲のための忍従であり、労働であればこそ不平も起るけれど、真理への道程であると考えた時には、現在の艱苦に打克つだけの決心がなくてはならない。 これを思う時、婦人開放も、婦人参政も、すべての運動は独り女子のみに限ったことでないことを知るで・・・ 小川未明 「婦人の過去と将来の予期」
・・・ 小学校を卒業するや、僕は県下の中学校に入ってしまい、しばらく故郷を離れたが正作は家政の都合でそういうわけにゆかず、周旋する人があって某銀行に出ることになり給料四円か五円かで某町まで二里の道程を朝夕往復することになった。 間もなく冬・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
出典:青空文庫