・・・然るにこの度は正宗君が『中央公論』四月号に『永井荷風論』と題する長文を掲載せられた。 わたくしは二家の批評を読んで何事よりもまず感謝の情を禁じ得なかった。これは虚礼の辞ではない。十年前であったなら、さほどまでにうれしいとは思わなかったか・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・削った長い木の杖を斜について危げに其足駄を運んで行く。上部は荷物と爪折笠との為めに図抜けて大きいにも拘らず、足がすっとこけて居る。彼等の此の異様な姿がぞろぞろと続く時其なかにお石が居れば太十がそれに添うて居ないことはない。然し太十は四十にな・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花がさしてある。昨日の雨を蓑着て剪りし人の情けを床に眺むる莟は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――すこぶ・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・鉄砲や、青竜刀や、朱の総のついた長い槍やが、重吉の周囲を取り囲んだ。「やい。チャンチャン坊主奴!」 重吉は夢中で怒鳴った、そして門の閂に双手をかけ、総身の力を入れて引きぬいた。門の扉は左右に開き、喚声をあげて突撃して来る味方の兵士が・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・「そうだよ。長いこと私を養って呉れたんだよ」「お前の肉の代償にか、馬鹿な!」「小僧さん。此人たちは私を汚しはしなかったよ。お前さんも、も少し年をとると分って来るんだよ」 私はヒーローから、一度に道化役者に落ちぶれてしまった。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・頭巾の附いた、鼠色の外套の長いのをはおっているが、それが穴だらけになっている。爺いさんはパンと腸詰とを、物欲しげにじっと見ている。 一本腕は何一つ分けてやろうともせずに、口の中の物をゆっくり丁寧に噬んでいる。 爺いさんは穹窿の下を、・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ある、春も初春でもなければ中春でもない、晩春の相である、丁度桜花が爛と咲き乱れて、稍々散り初めようという所だ、遠く霞んだ中空に、美しくおぼろおぼろとした春の月が照っている晩を、両側に桜の植えられた細い長い路を辿るような趣がある。約言すれば、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ わたくしは隙見をいたしました。長い、長い間わたくしはあの硝子戸の傍に立ってあなたを見ていました。あなたの方からは見えませんのですが、わたくしは暗い方にいましたからあなたをはっきり見ることが出来ました。決してわたくしが陰険な事をいたした・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ほんに君と僕とは大分長い間友人と呼び合ったのだ。ははあ、何が友人だ。君が僕と共にしたのは、夜昼とない無意味の対話、同じ人との交際、一人の女を相手にしての偽りの恋に過ぎぬ。共にしたとはいうけれど、譬えば一家の主僕がその家を、輿を、犬を、三度の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
○長い長い話をつづめていうと、昔天竺に閼伽衛奴国という国があって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せら・・・ 正岡子規 「犬」
出典:青空文庫