・・・ 隣りの子供が三人大立廻りをして声をそろえて泣き出す。 私も一緒にああやって泣きたい。 声を出そうかと思って口をあく、――あきは開いても、 何ぼ何でも、と思うと出かけた声も喉深くひっ込んで仕舞う。 風がサアーッと吹・・・ 宮本百合子 「秋風」
我が妹の 亡き御霊の 御前に 只一人の妹に先立たれた姉の心はその両親にも勝るほど悲しいものである。 手を引いてやるものもない路を幼い身ではてしなく長い旅路についた妹の身を思えば涙は自ずと頬を下・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ パリに動員が始まったその時から、キュリー夫人は彼女の第二の母国、亡き夫ピエール・キュリーを彼女の生涯にもたらし、その科学の発見を完成させ、彼女を二人の娘の母にしたこのフランスの不幸を凌ぎやすいものにするために役立とうと考えていた。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ 当時クラブ出発に関係していたいろいろの婦人たちの賛成を得て櫛田ふきさんが、実務の担当者となったことは、彼女の亡き良人が経済学者の櫛田民蔵氏だからではなかった。ふき子という彼女その人の婦人としての生活経験と、人間としての可能性によってみ・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
・・・この文集の完成にあたって、私はこのことのかげに在って表には語られていない父の亡き母に対する情愛の貞潔なる濃やかさに、娘として深き感動を抑え難いのである。 よみ難かった母の原稿の浄書から印刷に関する煩瑣な事務万端について援助を惜しまれなか・・・ 宮本百合子 「葭の影にそえて」
・・・それがしは故殿様にも御当主にも亡き父にも一族の者どもにも傍輩にも面目がない。かように存じているうち、今日御位牌に御焼香いたす場合になり、とっさの間、感慨胸に迫り、いっそのこと武士を棄てようと決心いたした。お場所柄を顧みざるお咎めは甘んじて受・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに帰りました。」「よほど情のこわい娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて言った。 ―――――――――――――――― 十一月二十四日の未の下刻である。西町奉行所の白州ははればれ・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・安寿が亡きあとはねんごろに弔われ、また入水した沼の畔には尼寺が立つことになった。 正道は任国のためにこれだけのことをしておいて、特に仮寧を申し請うて、微行して佐渡へ渡った。 佐渡の国府は雑太という所にある。正道はそこへ往って、役人の・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・「泣きゃあがるとぶち殺すぞ。」 こう云っておいて、ツァウォツキイはひょいと飛び出して、外から戸をばったり締めた。そして家の背後の空地の隅に蹲って、夜どおし泣いた。 色の蒼ざめた、小さい女房は独りで泣くことをも憚った。それは亭主に泣い・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・今まではしばらく堪えていたが、もはや包むに包みきれずたちまちそこへ泣き臥して、平太がいう物語を聞き入れる体もない。いかにも昨夜忍藻に教訓していたところなどはあっぱれ豪気なように見えたが、これとてその身は木でもなければ石でもない。今朝忍藻がい・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫