・・・ 十月初めに信州へ旅行して颱風の余波を受けた各地の損害程度を汽車の窓から眺めて通ったとき、いろいろ気のついたことがある、それがいずれも祖先から伝わった耐風策の有効さを物語るものであった。 畑中にある民家でぼろぼろに腐朽しているらしく・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・努力の余波が顎の筋肉に伝わって何かしら噛んでいたくなるのかとも考えてみた。自分の知っている老人で、機嫌が悪くて怒りたいのを我慢しているときに、入歯を止みなく噛み合わせるのが居た。またある精力家努力家で聞えた医者で患者を診察しながら絶えず奥歯・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・この方法が西欧で自覚的にもっぱら行なわれこれが本来の詩というものの本質であるとして高調されるに至ったのは比較的新しいことであり、そういう思想の余波として仏国などで俳諧が研究され模倣されるようになったようである。しかしこの方法の極度に発達した・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・千住よりの小蒸気けたゝましき笛ならして過ぐれば余波舷をあおる事少時。乗客間もなく満ちて船は中流に出でたり。雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に漣れんい寄するも、蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては簑打ち・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・そうして子細に考えてみると緊張に次ぐ弛緩の後にその余波のような次第に消え行く弛張の交錯が伴なうように思われる。しかし弛緩がきわめて徐々に来る場合はどうもそうでないようである。 惰性をもったものがその正常の位置から引き退けられて、離たれた・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ 石を囲した一坪ほどの水溜りは碑文に言う醴泉の湧き出た井の名残であろう。しかし今見れば散りつもる落葉の朽ち腐された汚水の溜りに過ぎない。 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・されば昔のままなる庭の石には苔いよいよ深く、樹木の陰はいよいよ暗く、その最も暗い木立の片隅の奥深いところには、昔の屋敷跡の名残だという古井戸が二ツもあった。その中の一ツは出入りの安吉という植木屋が毎年々々手入の松の枯葉、杉の折枝、桜の落葉、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧けたる名残か。しばらくはわが足に纏わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹と立ち直りて、繊き手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩ゆき光り矢の如く向い側なる室の中よりギニヴィアの頭に戴ける冠を照らす。輝け・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・花か蔦か或は葉か、所々が劇しく光線を反射して余所よりも際立ちて視線を襲うのは昔し象嵌のあった名残でもあろう。猶内側へ這入ると延板の平らな地になる。そこは今も猶鏡の如く輝やいて面にあたるものは必ず写す。ウィリアムの顔も写る。ウィリアムの甲の挿・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・これ等の事情をもって考るに、今の成行きにて事変なければ格別なれども、万に一も世間に騒動を生じて、その余波近く旧藩地の隣傍に及ぶこともあらば、旧痾たちまち再発して上士と下士とその方向を異にするのみならず、針小の外因よりして棒大の内患を引起すべ・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫