・・・ キクちゃんは、にやにや笑いながら、大きいコップにお酒をなみなみと注いで持って来た。「まだ、もう一ぱいぶんくらい、ございますわ。」「いや、これだけでいい。」 私はコップを受け取って、ぐいぐい飲んで、飲みほし、仰向に寝た。・・・ 太宰治 「朝」
・・・と書かれていて、訪問客は、みんな大笑いして、兄もにやにや笑っていましたが、それは、れいの兄のミステフィカシオンでは無く、本心からのものだったのでしょうけれど、いつも、みんなを、かつぐものだから、訪問客たちも、ただ笑って、兄のいのちを懸念しよ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・嘉七は、気弱く、にやにや笑った。「だけどもね、」おどけて、わざと必要以上に声を落して、「おまえは、まだ、そんなに不仕合せじゃないのだよ。だって、おまえは、ふつうの女だもの。わるくもなければよくもない、本質から、ふつうの女だ。けれども、私・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・女が行ってしまうとその駅員は、改札係と、居合わせた警官と三人で顔を見合わせて何か一言二言言ってにやにや笑っていた。 同じ汽車でおりた西洋人夫婦が、純粋な昔のシナの服装をしたシナ婦人に赤ん坊を抱かせて、しずしずと改札口を出た。子供のかかえ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・と云ってはにやにや笑うのであった。 御馳走を喰うと風邪を引くというのは一体どういう意味だか分からなかった。御馳走を喰えば栄養になり、喰い過ぎれば腹下りを起こすくらいのことは知っていたが、この、医学者でも物理学者でも何でもない助手M君の感・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・Sが笑い出したら、講談師も気がついたか自分の顔ばかり見ながらにやにやして話をつづけた。 銀座の西裏通りで、今のジャーマンベーカリの向かいあたりの銭湯へはいりに行っていた。今あるのと同じかどうかはわからない。芸者がよく出入りしていた。首だ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・勤め人の主は、晩酌の酔がまださめず、火鉢の側に胡座をかいて、にやにやしていた。「どうして未だなかなか。」「七十幾歳ですって?」「七十三になりますがね。もう耳が駄目でさ。亜鉛屋根にパラパラと来る雨の音が聞えなくなりましたからね、随・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 番頭は例の如くわれわれをあくまで仕様のない坊ちゃんだというように、にやにや笑いながら、「駄目ですよ。いくらにもなりませんよ。」「まあ、君、何冊あるか調べてから値をつけたまえ。」「揃っていても駄目ですよ。全くのはなし、他のお客様・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・その時重吉はただにやにや笑っていた。そうして今急にあすこに欠員ができて困ってるというから、当分の約束で行くのです、じきまた帰ってきますと、あたかも未来が自分のかってになるようなものの言い方をした。自分はその場で重吉の「また帰ってきます」を「・・・ 夏目漱石 「手紙」
出典:青空文庫