・・・男の子は、日ぐれだから金の窓もしめるのだなと思って、じぶんもお家へかえって、牛乳とパンを食べて寝るのでした。 或日お父さんは、男の子をよんで、「おまいはほんとによくはたらいておくれだ。そのごほうびに、きょうは一日おひまを上げるから、・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・君の三島の家には僕の寝る部屋があるかい。」 佐吉さんは何も言わず、私の背中をどんと叩きました。そのまま一夏を、私は三島の佐吉さんの家で暮しました。三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣の・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・いまさら道場へかよって武技を練るなどはとても出来そうもないのである。私は一生、だめな男なのかも知れない。それにしても、あの鴎外がいいとしをして、宴会でつかみ合いの喧嘩をしたとは初耳である。本当かしら。黄村先生は、記録にちゃんと残っている、と・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・もともと佐野君は、文人としての魂魄を練るために、釣をはじめたのだから、釣れる釣れないは、いよいよ問題でないのだ。静かに釣糸を垂れ、もっぱら四季の風物を眺め楽しんでいるのである。水は、囁きながら流れている。鮎が、すっと泳ぎ寄って蚊針をつつき、・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・三時間か四時間だけ自動車を一台やとって、道路のいい田舎へ出かけてどこでも好きなところで車を止めて土が踏みたければ踏み、草に寝たければ寝るということである。近頃の言葉で云えばドライヴを試みることである。 自動車で田舎へ遊山に出かけるという・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・一体にもう少し修辞法を練る余地があるのではないかと思われました。 日本の従来の「短歌」とは形式ばかりでなく内容的にも大分ちがった別物とは思いますが、こういう新しい詩形に固有な新しい詩の世界を創造して行くのは面白いことだろうと思われます。・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・体力だけを練るのは未開時代への逆行である。 タイピストの一九二九年のレコードは一分に九十六語でこれはフランスの某タイプ嬢の所有となっている。これなども神経のはたらきの可能性に関するものである。 ロスアンゼルスのアゼリン嬢は三十六秒間・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ 自分の白いネルの襟巻がよごれてねずみ色になっているのを、きたないからと言って女中にせんたくさせられたこともあったが、とにかく先生は江戸ッ子らしいなかなかのおしゃれで、服装にもいろいろの好みがあり、外出のときなどはずいぶんきちんとしてい・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・それでまずボール箱に古いネルの切れなどを入れて彼の寝床を作ってやった。それと、土を入れた菓子折りとを並べて浴室の板の間に置いた。私が寝床にはいる前にそこらの蚊帳のすそなどに寝ているたまを捜して捕えて来て浴室のこの寝床に入れてやった。何も知ら・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・自分は白いネルをちょん切っただけのものを襟巻にしていた。それが知らぬ間にひどくよごれてねずみ色になっているのを先生が気にしていた。いつか行ったとき無断で没収され、そうして強制的にせんたくを執行された上で返してくれたことがあった。そのネルの襟・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
出典:青空文庫