・・・そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前はもう寝るが好い。己には構わないでも好いから。家来。いえ、そのお庭の戸は疾くに閉めてあるのでございますから、気味が悪うございます。何しろ。主人。どうしたと。家来。ははあ、また出・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・想うに蕪村は誤字違法などは顧みざりしも、俳句を練る上においては小心翼々として一字いやしくもせざりしがごとし、古来文学者のなすところを見るに、多くは玉石混淆せり、なすところ多ければ巧拙両つながらいよいよ多きを見る。杜工部集のごときこれなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・を辞し弟に負て身三春 本をわすれ末を取接木の梅故郷春深し行々て又行々 楊柳長堤道漸くくれたり矯首はじめて見る故園の家黄昏戸に倚る白髪の人弟を抱き我を待春又春君不見古人太祇が句藪入の寝るやひとりの親の側 なおこのほ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・玉は僕持って寝るんだからください」 兎のおっかさんは玉を渡しました。ホモイはそれを胸にあててすぐねむってしまいました。 その晩の夢の奇麗なことは、黄や緑の火が空で燃えたり、野原が一面黄金の草に変ったり、たくさんの小さな風車が蜂のよう・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・安心して寝る家を確保しなければならない。人間らしい気品の保てる経済条件がなければならない。 本当に深く人生を考えて見れば、今の社会に着物一つを問題にしてもやはり決して不可能ではない未来の一つの絵図として本当に糸を紡いで織ったり染めたりし・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・ 中腰になって部屋の角へ、外套だの、ネルの襟巻だのをポンポン落してから、長火鉢の方へよって来た栄蔵はいつもよりは明るい調子で物を云った。「まだ何ともきまらん。 けど、奥はんが大層同情して、けっとどうぞしてやるさかいに又明日来・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 風は有っても砂をまきたてるほどでもないので丁度いいかげんにネルの躰を吹いて行く、こののどかなうきうきした娘のような景色の中を恥かしいほど重っくるしい陰気な心持で渚づたいに、別荘のわき、両方から砂丘がせまって一寸したくぼい形になって居る・・・ 宮本百合子 「砂丘」
・・・ 冬、赤いメンネルのしゃつをき、自分でぬいものをもする。「あんたどの位あります」などときく。小柄、白毛。総入れバを時々ガタガタ云わせる。 小さい鼻、目、女のようなところあり、さっぱりせず。 後藤新平の自治に関する・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 今年は今っから海岸にでも行ってたらどうです?「今はまだ東京に居とうござんすよ、 今頃の東京は一寸ようござんすからねえ。 ネルの着物を着る頃の銀座の通りが大好きですよ。 かなり長い間おぼえて居られる人を見られるしするから・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ ○ 紫や黄や朱の縞のある新しいネルの元禄袖を着ているみのえの体から、いい匂いが発散した。 油井は、剪りたての花でも見るようにみのえの坐り姿を見つめていたが、「どうしてそんなに奇麗?」と呟・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫