・・・どうしてって風力計がくるくるくるくる廻っていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載るんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄に急い・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・しかし、今日の生活は遑しく、変化が激しく、混んだ電車一つに乗るにしても、実際には昔風の躾とちがった事情がおこって来ています。しとやかに、男の人のうしろについて、つつましく乗物にのるのが、昔の若い女性の躾でした。 毎朝、毎夕、あの恐しい省・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・千鶴子が、自分に対する複雑な反感を潔よく現し、真直罵るなり何なりしたら、却って心持よかったとはる子は遺憾に思った。千鶴子は圭子に向ってそのように激しつつも、はる子に対しては、その寛大さや友情を認め感謝を示していたのであった。 その心持に・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・子供のきくことに答えるよりさきに、下島のおじさんをよんで、面と向って、はげしく罵るぐらいに怒った。母の怒りがあまりつよいから、母とおじとをとりまいて息をこらして見物している子供の心には母の怒のはげしさに焼かれ清潔にされたように、おじさんの云・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ 口では、まるで一ひねりに捻り潰してくれそうな勢で彼女を罵ることだけは我劣らじと罵る。 けれども、若しその公憤を具体化そうとでも云えば、彼等は互に顔を見合わせながら、「はあ…… 相手がわれえ……」と尻込みをして、一人一人・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・と云う時、今日の知識人はバルザックが自然科学をよりどころとして却ってプラトーの奴隷搾取者としての社会観に似るところまで反動的に引戻ったことを直ちに理解する。然し、現代の高度な資本主義の社会観の発展と地球六分の一をしめる社会主義体制との摩擦は・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・場末の常で、朝出て晩に帰れば、丁度満員の車にばかり乗るようになるのである。二人は赤い柱の下に、傘を並べて立っていて、車を二台も遣り過して、やっとの事で乗った。 二人共弔皮にぶら下がった。小川はまだしゃべり足りないらしい。「君。僕の芸・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・狭い、長い廊下に人が押し合って、がやがやと罵る。非常な混雑であった。 四畳半には鋭利な刃物で、気管を横に切られたお蝶が、まだ息が絶えずに倒れていた。ひゅうひゅうと云うのは、切られた気管の疵口から呼吸をする音であった。お蝶の傍には、佐野さ・・・ 森鴎外 「心中」
・・・あれは仏を呵し祖を罵るのだね。」 寧国寺さんは羊羹を食べて茶を喫みながら、相変わらず微笑している。 五 富田は目を据えて主人を見た。「またお講釈だ。ちょいと話をしている間にでも、おや、また教えられたなと思・・・ 森鴎外 「独身」
・・・その群衆の中に混って、乗るでもない、降りもしない一人の背高い、蒼ざめた帝大の角帽姿の青年が梶の眼にとまった。憂愁を湛えた清らかな眼差は、細く耀きを帯びて空中を見ていたが、栖方を見ると、つと美しい視線をさけて外方を向いたまま動かなかった。・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫