・・・といい罵るものもありましたが、また元の奥様を知っていた人から、すぐに聞たッて、一々ほんとうだといい張る者さえあったんです。その話というはこうなんです。 人の知らない遠い片田舎に、今の奥さまが、まだ新嫁でいらしッたころ、一人の緑子を形見に・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・そうして他人の不道徳を罵る時にはその内面的の穢なさを指摘しようとします。 しかし自分の心はどれほど清らかになっているか。恥ずべき行為をしないと自信している私は、心の中ではなおあらゆる悪事を行なっているのです。最も狂暴なタイラントや最も放・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・こう自分で自分を罵る。そして自分の人格の惨めさに息の詰まるような痛みを感ずる。 しかしやがて理解の一歩深くなった喜びが痛みのなかから生まれて来る。私は希望に充ちた心持ちで、人生の前に――特に偉人の内生の前に――もっともっと謙遜でなくては・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・ たとえ自分の内に、この要求のなお生温くまた深刻でないことを罵る声が絶えないにしても、自分は前よりは一歩深く生活にはいって行ったように感ずる。かつて自分が我を斥けようと努力した時代に比べれば、他動が自動に変わったという意味で全く違った心・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・この地獄に似る混沌海の波を縫うて走る一道の光明は「道徳」である。吾人はここにおいて現代の道徳に眼を向ける。三 現代の因襲的道徳と機械的教育は吾人の人格に型を強いるものである。「人」として何らの霊的自覚なく、命ぜらるるがままに・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫