・・・そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はその自分の姿を見て、丁度他人を気の毒に思うように、その自分の影を気の・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、そのほかのいろいろの音色から、独り離れていて、歌をうたっているように思われました。で、ここまで聞こえてくるには、いろいろのところを歩き、また抜けたりしてきたのであります。町の方には電車の音がしたり、また汽車の笛の音などもしているので・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・と言い捨てて、お光はつと火鉢を離れて二階へ行こうとすると、この時ちょうど店先へガラガラと俥が留った。 俥を下りたのは六十近くの品のいい媼さんで、車夫に銭を払って店へ入ると、為さんに、「あの、私はお仙のお母でございますが、こちらのお上さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 汽車はだんだんにプラットホームを離れて行った。「竹の皮の黒焼きでっせ」 男の声は莫迦莫迦しいほど、大きかった。 女は袂の端を掴み、新派の女優めいた恰好で、ハンカチを振った。似合いの夫婦に見えた。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・此塩梅では死骸の側を離れたくも、もう離れられんも知れぬ。やがておれも是になって、肩を比べて臥ていようが、お互に胸悪くも思はなくなるのであろう。 兎に角水は十分に飲むべし。一日に三度飲もう、朝と昼と晩とにな。 日の出だ! 大きく盆・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・…… ほとんど一カ月ぶりで、二時過ぎに起きて、二三町離れたお湯へ入りに行った。新聞にも上野の彼岸桜がふくらみかけたといって、写真も出ていたが、なるほど、久しぶりで仰ぐ空色は、花曇りといった感じだった。まだ宵のうちだったが、この狭い下・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・此れ等の打合せをしようにも、二人が病人の傍を離れる事は到底不可能な事、まして、小声でなんか言おうものなら、例の耳が決して逃してはおきません。 其夜、看護婦は徹夜をしました。私は一時間程横になりましたが、酸素が切れたので買いに走りました。・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目めくばせをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独というこ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ われを嘲けるごとく辰弥は椅子を離れ、庭に下り立ちてそのまま東の川原に出でぬ。地を這い渡る松の間に、乱れ立つ石を削りなして、おのずからなる腰掛けとしたるがところどころに見ゆ。岩を打ち岩に砕けて白く青く押し流るる水は、一叢生うる緑竹の中に・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心にむちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。 十幾本の鉤を凧糸につけて、その・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫