・・・そのうちに蜂は一度羽根を拡げて強く振動させた、おそらく飛び上がろうとしたのであろうが、虫の重量はこの蜂の飛揚力以上であったと見えて少しも動かなかった。どうするかと思っていると、このやや長味のある団塊をうまく二つに食い切って、その片方を丁寧に・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・ かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの功果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺に起った。なるほど洋琴の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなく・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・しがない日傭人の兵隊たちは、戦争よりも飢餓を恐れて、獣のように悲しんでいた。そして彼らの上官たちは、頭に羽毛のついた帽子を被り、陣営の中で阿片を吸っていた。永遠に、怠惰に、眠たげに北方の馬市場を夢の中で漂泊いながら。 原田重吉が、ふいに・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・裁判所に持ち出したって、こっちは一億円の資本を擁する大会社だ。それに、裁判はこちらの都合で、五年でも十年でも引っ張れる。その間、お前はどうして食う。裁判費用をどこから出す。ヘッヘッヘッ」と、吉武有と云う、鋳込まれたキャプスタン見たいな、あの・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・あるいは学校費用の一点について官私を比較すれば、私立の方に幾倍の便利あること明らかに保証すべし。されば人民の政は、ただ多端なるのみに非ず、また盛大有力なりといわざるべからず。 右の次第をもって考うれば、人民の世界に事務なきを患るに足らず・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 小学教育の事 二 平仮名と片仮名とを較べて、市在民間の日用にいずれか普通なりやと尋れば、平仮名なりと答えざるをえず。男女の手紙に片仮名を用いず。手形、証文、受取書にこれを用いず。百人一首はもとより、草双紙その他、民間・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・これを、かの世間の醜行男子が、社会の陰処に独り醜を恣にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎冒色勝手次第に飛揚して得々たるも、不幸にして君子の耳目に触るるときは、疵持つ身の忽ち萎縮して顔色を失い、人の後に瞠若とし・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 毒もみ収支計算 費用の部 一、金 二両 山椒皮 一俵 一、金 三十銭 灰 一俵 計 二両三十銭也 収入の部 一、金 十三両 鰻 十三斤 一、金 十両 その他見積り ・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・ 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく頸を垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝にして、徐に座に復し、拝跪して唯願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為に、これを説きたまえ。ただ我等が為に、これを説き給えと。 疾・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・村の労銀というのは恐らく従来の救済工事の日当や日傭労働賃銀を標準にしてのことであったろう。むしろ意外な苦情を受けた専門家たちは「労銀が多すぎる為に起る弊害について大いに考えさせられた。副業が本業になることを恐れるためである」その問題は、それ・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
出典:青空文庫